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Shin Sugawara // 菅原真

序章│問題提起 ― 平和幻想を疑う

シリーズ:戦争は非常事態ではなく常態である


0. 二大悪としての戦争と殺人

 多くの人が「人間にとって最大の悪」として思い浮かべるのは、戦争と殺人である。
 どちらも「人の命を奪う」という点で、これ以上の悪はないと直感される行為だ。
 ただし両者には決定的な違いがある。殺人は動機があまりに多様であり、犯罪学や心理学、法学といった専門領域に委ねるべきだろう。
 一方で戦争は、個人の激情ではなく、国家や制度、思想によって組織化される。構造としての殺人=戦争を分析することこそ、私の関心の中心である。


1. 「悪の地図」からの発展

 「悪の地図」シリーズで明らかにしてきたのは、人間は存在的に悪であるという結論だった。
 凡庸な悪は日常に潜み、意図された悪は歴史を大きく歪める。人間はその両方を内包し、繰り返し破壊と加害を行ってきた。
 この視座を社会スケールに拡張するならば、次に問うべきは「人間が築いてきた歴史そのものが悪を常態化させてきたのではないか」という問題意識である。


2. 平和幻想の危うさ

 私たちはしばしば「平和=常態」「戦争=非常事態」と理解している。
 だが、歴史を俯瞰すればこの認識は危うい。戦争は絶え間なく繰り返されてきた。むしろ「戦争の空白」が例外的に記録されるほどだ。
 もしそうだとすれば、平和を当然視する思考は歴史に盲目であり、虚構の上に立つ幻想にすぎない。


3. 戦争は常態、平和は奇跡

 本シリーズが提示するのは、戦争こそ人類史の常態であり、平和は戦争の隙間に生じる奇跡であるという視点である。
 平和を「例外」として捉え直すとき、私たちは初めてそれを真剣に維持しなければならない理由を理解する。
 平和は偶然ではなく、不断の努力と抑制の結果としてかろうじて持続する「かりそめの状態」なのだ。


4. 哲学者たちの視座

 この問題を理解するうえで、戦争をどう捉えたかを論じた思想家たちの視点は欠かせない。

  • ホッブズ:自然状態は「万人の万人に対する闘争」であり、戦争は人間存在の出発点。
  • シュミット:政治の本質は「友/敵の区別」にあり、戦争は政治の必然的帰結。
  • クラウゼヴィッツ:戦争は「政治の延長」であり、国家目的を遂行する合理的手段。
  • アーレント:暴力と権力を区別し、戦争を「権力の危機における暴力の噴出」と見た。
  • カント:「永遠平和」という理念を提示したが、それは現実に到達しえない理想形にすぎない。

 彼らの言葉は、戦争が人類史において異常ではなく常態であることを思想的に補強している。


5. 次章への予告

 次章では、古代における戦争と文明の同時誕生を取り上げる。
 メソポタミア、エジプト、中国といった最初の文明は、軍事組織と不可分の形で立ち上がった。
 文明の始まりが同時に戦争の制度化でもあった事実を確認することで、戦争が人類史の出発点から常態だったことを明らかにしていく。


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