第1章│古代 ― 戦争と文明の同時誕生
執筆日: 2025-09-24
公開日: 2025-10-16
0. 古代の範囲
ここでいう「古代」とは、紀元前3000年頃の文明誕生から、西ローマ帝国の崩壊(476年)までを含む。
文明が形を取り始めた時代から、帝国がヨーロッパ・アジア・アフリカをまたぐ規模に広がるまでの時代は、すべて戦争とともにあった。
平和は一瞬の空白であり、ほとんど記録に残らない幻影である。
1. 文明の誕生と戦争の制度化
メソポタミアやエジプト、中国の初期文明は、農業と都市を基盤に発展した。
しかし都市の誕生は即座に戦争の誕生でもあった。都市を囲む城壁は、外敵を想定しなければ建てられない。
ここに見えるのは、文明が「平和の産物」ではなく、むしろ「戦争を常態とした準備」の上に築かれたという逆説である。
2. 英雄叙事詩と戦争の意味づけ
古代の思想家はまだ「哲学者」ではなく、叙事詩人や神話の語り手だった。
- 『ギルガメシュ叙事詩』は都市の王を戦争の英雄として描き、人間存在を「力による秩序」に重ね合わせた。
- 『イーリアス』はトロイア戦争 (紀元前1200年頃)を単なる出来事ではなく、人間の栄光と破滅の本質を示す舞台として語った。
詩人たちはすでに、戦争を「例外的悲劇」ではなく「人間存在の鏡」として語っていたのである。
3. ギリシア思想における戦争
古代ギリシアの哲学者たちは、戦争を避けられない人間の条件として捉え始めた。
- ヘロドトス (紀元前484年頃–紀元前425年頃) は『歴史』において ペルシア戦争 (紀元前499年~紀元前449年) を記録し、人間の栄華も没落も戦争に規定されることを示した。
- トゥキディデス (紀元前460年頃–紀元前395年頃) は『戦史』で ペロポネソス戦争 (紀元前431年~紀元前404年) を分析し、戦争の原因を「人間の恐怖・利益・名誉欲」に見出した。 ここで初めて、戦争は神々の意思ではなく、人間そのものの本性と結びつけられた。
4. 中国思想と戦争
東アジアでも同時期に、戦争は思想の核心にあった。
- 孫子 (紀元前6世紀頃) は『孫子(書物)』で「戦わずして勝つ」ことを理想としながらも、戦争を社会の常態と前提した。
- 荀子 (紀元前313年頃–紀元前238年頃) は「人の性は悪」と喝破し、秩序を維持するには強力な政治と軍事が必要だと説いた。
中国思想においても、戦争は異常事態ではなく、人間と社会を形作る必然の場として語られていた。
5. ローマと「平和の幻」
ローマ帝国は「パクス・ロマーナ (紀元前27年~西暦180年)」と呼ばれる平和を誇った。
だがそれは帝国の境界での絶え間ない戦争の上に成り立つ「内部の平和」にすぎない。
ストア派の哲学者 マルクス・アウレリウス (121年–180年) 自身も皇帝としてゲルマン人との戦争に生涯を費やした。
ここに「平和の幻影」が鮮明になる。
6. 古代主要戦争の年表(思想史の視点を交えて)
- 紀元前1274年: カデシュの戦い(エジプト vs ヒッタイト) ― 「最古の和平条約」は次の戦争のための休止符にすぎない。
- 紀元前499年~紀元前449年: ペルシア戦争 ― ヘロドトスが「歴史」として記録。
- 紀元前431年~紀元前404年: ペロポネソス戦争 ― トゥキディデスが人間の欲望を原因と指摘。
- 紀元前6世紀頃: 孫子『兵法』 ― 「戦わずして勝つ」を説くも、戦争常態を前提。
- 紀元前313年~紀元前238年: 荀子 ― 「人の性は悪」とし、軍事を秩序維持の要と説く。
- 紀元前27年~西暦180年: パクス・ロマーナ ― 「平和」と呼ばれるものの実態は外部戦争の連続。
7. 次章への予告
次章では、中世を舞台に「宗教と秩序の戦争化」を取り上げる。 十字軍 (1096年~1291年)、 モンゴル帝国 (1206年~1368年)、 戦国時代 (1467年~1615年) などを思想史の視点で検証し、宗教と封建秩序が戦争をどのように正当化し、制度化したかを明らかにする。