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Shin Sugawara // 菅原真

第2章│中世 ― 宗教と秩序の戦争化

0. 中世の範囲

 ここでいう「中世」とは、西ローマ帝国の崩壊(476年)から大航海時代とルネサンスを経た15世紀末頃までを指す。
 おおよそ 西暦500年から1500年 までの約1000年間である。
 この時代は、キリスト教とイスラム教という二大宗教の拡張、封建制度による秩序の固定化、そして絶え間ない戦争の連鎖によって特徴づけられる。
 平和はただの隙間であり、宗教と封建秩序が戦争を制度化したことこそが中世の核心である。


1. 宗教戦争の正当化 ― 十字軍

 11世紀末、教皇 ウルバヌス2世 (1042年–1099年) は、エルサレム奪還を呼びかけた。
 こうして始まった 十字軍 (1096年~1291年) は、キリスト教世界が「神の意志」という大義で組織的に行った連続戦争である。
 哲学者 トマス・アクィナス (1225年–1274年) は「正戦論」を展開し、神学的に「正しい戦争」があり得ると説いた。
 ここに見えるのは、宗教が戦争を異常事態ではなく「制度」として支えた姿である。


2. イスラムの拡張とジハード

 7世紀に誕生した イスラム帝国 (632年~1258年) は、ムハンマドの死後すぐに中東・北アフリカ・イベリア半島へと広がった。
 「ジハード(聖戦)」は信仰共同体を拡張するための思想的武器となり、戦争は宗教的義務として制度化された。
 中世イスラム思想家 アル=ガザーリー (1058年–1111年) もまた、信仰と戦争の関係を論じ、ジハードを共同体の存続に不可欠な要素として位置づけた。


3. モンゴル帝国の衝撃

 13世紀、チンギス・ハン (1162年–1227年) が率いた モンゴル帝国 (1206年~1368年) は、東西ユーラシアを征服した。
 破壊と殺戮の連続は「悪の常態」をむき出しにしたが、同時に「モンゴルの平和 (13世紀~14世紀)」と呼ばれる交易の安定を生んだ。
 ここでも戦争は「終わり」ではなく「次の秩序の始まり」であり、平和は戦争の副産物でしかなかった。


4. 日本の封建秩序と戦争

 日本においても、中世は戦争が常態であった。

 これらはいずれも、封建秩序と宗教勢力が絡み合いながら戦争を正当化した例である。
 禅僧や儒学者は「秩序維持のための戦争」を語り、戦乱は思想的に容認された。


5. ヨーロッパ封建制と戦争

 ヨーロッパの封建制では、土地と忠誠が交換される契約のもと、戦争は義務として制度化された。
 百年戦争 (1337年~1453年) はイングランドとフランスの王位継承をめぐる大戦争であり、一世紀以上続いた。
 哲学者 マキャヴェリ (1469年–1527年) は『君主論』で、平和を夢見るよりも「戦争に備えること」こそが政治の核心であると喝破した。
 ここに「平和幻想」が徹底的に打ち砕かれている。


6. 平和条約という幻想

 十字軍後の条約も、百年戦争の講和も、いずれも恒久平和には至らなかった。
 条約は「終わり」ではなく「次の戦争までの中継ぎ」にすぎない。
 中世において平和は存在せず、戦争こそが人間社会の常態であった。


7. 中世主要戦争の年表(思想史の視点)


8. 次章への予告

 次章では、近代を舞台に「国民国家と総力戦の時代」を扱う。
 ヴェストファーレン条約 (1648年) による国家戦争の制度化、 フランス革命 (1789年~1799年)ナポレオン戦争 (1803年~1815年) による国民皆兵、 そして帝国主義と植民地戦争が「平和の名を借りた戦争の常態」であったことを明らかにする。


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