第2章│中世 ― 宗教と秩序の戦争化
執筆日: 2025-09-24
公開日: 2025-10-17
0. 中世の範囲
ここでいう「中世」とは、西ローマ帝国の崩壊(476年)から大航海時代とルネサンスを経た15世紀末頃までを指す。
おおよそ 西暦500年から1500年 までの約1000年間である。
この時代は、キリスト教とイスラム教という二大宗教の拡張、封建制度による秩序の固定化、そして絶え間ない戦争の連鎖によって特徴づけられる。
平和はただの隙間であり、宗教と封建秩序が戦争を制度化したことこそが中世の核心である。
1. 宗教戦争の正当化 ― 十字軍
11世紀末、教皇 ウルバヌス2世 (1042年–1099年) は、エルサレム奪還を呼びかけた。
こうして始まった 十字軍 (1096年~1291年) は、キリスト教世界が「神の意志」という大義で組織的に行った連続戦争である。
哲学者 トマス・アクィナス (1225年–1274年) は「正戦論」を展開し、神学的に「正しい戦争」があり得ると説いた。
ここに見えるのは、宗教が戦争を異常事態ではなく「制度」として支えた姿である。
2. イスラムの拡張とジハード
7世紀に誕生した イスラム帝国 (632年~1258年) は、ムハンマドの死後すぐに中東・北アフリカ・イベリア半島へと広がった。
「ジハード(聖戦)」は信仰共同体を拡張するための思想的武器となり、戦争は宗教的義務として制度化された。
中世イスラム思想家 アル=ガザーリー (1058年–1111年) もまた、信仰と戦争の関係を論じ、ジハードを共同体の存続に不可欠な要素として位置づけた。
3. モンゴル帝国の衝撃
13世紀、チンギス・ハン (1162年–1227年) が率いた モンゴル帝国 (1206年~1368年) は、東西ユーラシアを征服した。
破壊と殺戮の連続は「悪の常態」をむき出しにしたが、同時に「モンゴルの平和 (13世紀~14世紀)」と呼ばれる交易の安定を生んだ。
ここでも戦争は「終わり」ではなく「次の秩序の始まり」であり、平和は戦争の副産物でしかなかった。
4. 日本の封建秩序と戦争
日本においても、中世は戦争が常態であった。
- 平安末期の 治承・寿永の乱/源平合戦 (1180年~1185年)
- 鎌倉時代の 元寇 (1274年・1281年)
- 室町以降の 戦国時代 (1467年~1615年)
これらはいずれも、封建秩序と宗教勢力が絡み合いながら戦争を正当化した例である。
禅僧や儒学者は「秩序維持のための戦争」を語り、戦乱は思想的に容認された。
5. ヨーロッパ封建制と戦争
ヨーロッパの封建制では、土地と忠誠が交換される契約のもと、戦争は義務として制度化された。
百年戦争 (1337年~1453年) はイングランドとフランスの王位継承をめぐる大戦争であり、一世紀以上続いた。
哲学者 マキャヴェリ (1469年–1527年) は『君主論』で、平和を夢見るよりも「戦争に備えること」こそが政治の核心であると喝破した。
ここに「平和幻想」が徹底的に打ち砕かれている。
6. 平和条約という幻想
十字軍後の条約も、百年戦争の講和も、いずれも恒久平和には至らなかった。
条約は「終わり」ではなく「次の戦争までの中継ぎ」にすぎない。
中世において平和は存在せず、戦争こそが人間社会の常態であった。
7. 中世主要戦争の年表(思想史の視点)
- 632年~1258年: イスラム帝国の拡張 ― ジハード思想に支えられた拡張。
- 1071年: マラズギルトの戦い ― ビザンツ帝国の敗北、十字軍の契機。
- 1096年~1291年: 十字軍 ― 「神の意志」による戦争の制度化。
- 1206年~1368年: モンゴル帝国の拡張 ― 「モンゴルの平和」と称される秩序を創出。
- 1180年~1185年: 治承・寿永の乱/源平合戦 (1180年~1185年) ― 日本の封建秩序形成の契機。
- 1274年・1281年: 元寇 ― モンゴル帝国と日本の衝突。
- 1337年~1453年: 百年戦争 ― 封建制の中で延々と続く戦争。
- 1402年: アンカラの戦い ― ティムール帝国 vs オスマン帝国。
8. 次章への予告
次章では、近代を舞台に「国民国家と総力戦の時代」を扱う。
ヴェストファーレン条約 (1648年) による国家戦争の制度化、
フランス革命 (1789年~1799年) と
ナポレオン戦争 (1803年~1815年) による国民皆兵、
そして帝国主義と植民地戦争が「平和の名を借りた戦争の常態」であったことを明らかにする。