第5章│日本の80年 ― 奇跡の持続とその影
執筆日: 2025-09-24
公開日: 2025-10-20
0. 日本の80年の範囲
ここでいう「日本の80年」とは、第二次世界大戦の敗戦(1945年)から現在までを指す。
この期間、日本は直接的な戦争に参戦していない。
それは世界史の文脈で見ればきわめて稀有な出来事であり、確かに「奇跡」と呼ぶに値する。
しかし同時に、この「平和」をそのまま「平和だった」と定義することは危うい。なぜなら、その80年もまた「戦争常態の世界史」の只中にあったからである。
1. 憲法9条と平和国家イメージ
敗戦後、日本は 日本国憲法 (1947年施行) において戦争放棄を明記した。
これによって日本は「平和国家」として国際社会に位置づけられた。
戦後世代の思想家 丸山眞男 (1914年–1996年) は、戦前の全体主義を批判し、戦後民主主義を「平和の土台」として称揚した。
だがその「平和国家イメージ」は、アメリカの核抑止力に依存するという構造の上に成り立っていた。
2. 冷戦下の日本 ― 参戦なき戦争協力
冷戦 (1947年~1991年) の時代、日本は戦場に立たなかったが、アメリカの極東戦略に組み込まれていた。
- 朝鮮戦争 (1950年~1953年) では、日本は兵站基地となり「特需景気」に沸いた。
- ベトナム戦争 (1955年~1975年) でも在日米軍基地が出撃拠点となり、戦争の背後を支えた。
思想家 加藤周一 (1919年–2008年) は、日本の戦後民主主義が「アメリカの傘の下」にあることを繰り返し批判した。
つまり、日本の「平和」は世界の戦争に依存した相対的な幻影だったのである。
3. 経済大国化と戦争の不可視化
高度経済成長(1950年代~1970年代)は「平和の果実」として語られる。
だがその繁栄は、冷戦秩序という戦争構造の中で可能になった。
兵器を持たず、米国に依存しながら経済発展を遂げるという日本の道は、「戦争を外注することで得られた平和」だった。
思想家 小田実 (1932年–2007年) らはベトナム反戦運動を通じ、日本が「戦争に参加していない」という自己像を批判し続けた。
4. 平和だったのか?という問い
1945年以降の日本を「平和だった」と言い切ることには危うさがある。
- 米軍基地を抱え、常に戦争準備の一部を担ってきた。
- 冷戦構造の恩恵を受け、経済発展を遂げてきた。
- 湾岸戦争(1990年~1991年)以降は自衛隊が後方支援として海外に派遣されるようになった。
つまり、日本の80年は「戦争に直接参戦しなかった」のであって、「戦争と無縁だった」わけではない。
それを「平和」と呼ぶとき、私たちは戦争の常態を見えなくしてしまう。
5. 平和幻想の象徴としての日本
日本の戦後80年は、確かに人類史における稀有な「戦争不参加の記録」である。
だがその奇跡的な持続は、国際的軍事秩序に依存した「平和幻想」 でもある。
もしこの幻想を「自明の平和」として誇るなら、私たちは再び戦争常態の世界史を見失う。
日本の80年は「平和の証拠」であると同時に、「平和幻想の象徴」でもあるのだ。
6. 日本の80年を位置づける年表
- 1945年: 日本の敗戦、第二次世界大戦終結。
- 1947年: 日本国憲法施行(戦争放棄を明記)。
- 1950年~1953年: 朝鮮戦争 ― 日本は兵站基地として機能。
- 1955年~1975年: ベトナム戦争 ― 在日米軍基地から出撃。
- 1990年~1991年: 湾岸戦争 ― 日本は資金支援と自衛隊派遣で関与。
- 2001年~現在: 対テロ戦争 ― 自衛隊の海外派遣が常態化。
7. 次章への予告
次章では、戦争を思想的に総括する。
ホッブズ (1588年–1679年)、
シュミット (1888年–1985年)、
アーレント (1906年–1975年) らの議論を参照し、日本の経験を思想的に照射することで、平和の脆さと奇跡性を再定義する。