第6章│思想的補強 ― 敵と暴力の必然
執筆日: 2025-09-24
公開日: 2025-10-21
0. この章の位置づけ
ここまで見てきたように、戦争は古代から現代に至るまで常態であり、平和は幻影にすぎない。
しかし日本の戦後80年(1945年~現在)は、この文脈を揺さぶる特殊な事例として現れる。
ここでは思想家たちの議論を参照しつつ、日本の経験を世界史に位置づけ、さらに「永世中立国スイス」と比較することで、平和幻想の脆さを浮き彫りにする。
1. 戦争を常態と見た思想家たち
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トマス・ホッブズ (1588年–1679年)
「万人の万人に対する闘争」として人間の自然状態を描いた。国家はこの闘争を抑制するが、戦争そのものを消滅させることはできない。 -
カール・シュミット (1888年–1985年)
政治の本質は「友/敵の区別」にあるとし、敵を想定しない政治共同体は存在し得ないと論じた。国家は常に「潜在的な戦争」を前提に動いている。 -
ハンナ・アーレント (1906年–1975年)
「凡庸な悪」を提示し、戦争は怪物的狂気ではなく、日常の思考停止と服従の延長で起こることを示した。
これらの議論はいずれも「戦争は人類の常態」であることを強調している。
2. 日本の80年は例外か?
日本は1945年以降、直接的な戦争に参戦していない。
この事実だけを切り取れば「例外」だが、冷戦構造の中で米国の軍事戦略に組み込まれており、在日米軍基地は朝鮮戦争やベトナム戦争の出撃拠点だった。
つまり日本は「戦争をしなかった国」ではなく「戦争を外注した国」である。
それでも世界史的に見れば、80年にわたり参戦を避け続けたことはきわめて特異だ。
この「奇跡的例外」が示すのは、「平和は偶発的に生じ得る」という事実と同時に、「その平和が構造的に脆い」という真理である。
3. スイスとの比較 ― 永世中立の意味
永世中立国 スイス は、1815年のウィーン会議以降、200年以上にわたり大規模戦争に参戦していない。
だがその「中立」は、軍事的自立と地政学的条件に支えられている。
- スイスは徴兵制を維持し、武装中立を徹底した。
- 国際金融センターとして各国にとって都合の良い存在であった。
- 欧州列強の均衡が、スイスの中立を必要としてきた。
つまりスイスの「平和」は、国際秩序の中で戦略的に保証されたものであり、日本の「米国依存型の平和」とは本質的に異なる。
4. 平和の定義を問い直す
日本やスイスの例は、人類史における「平和の異例」を示している。
しかしその平和は「戦争から切り離された絶対的状態」ではなく、
- 日本の場合は「戦争を外部化した依存的平和」
- スイスの場合は「均衡に支えられた条件付き平和」 であった。
「平和だった」と単純に言うとき、私たちは「戦争の常態」という大前提を見失い、平和幻想に取り込まれてしまう。
5. 思想史的結論
ホッブズが描いた「闘争」、シュミットの「友敵」、アーレントの「凡庸な悪」。
これらの思想に照らせば、日本の80年もスイスの200年も「戦争常態の例外的な亀裂」としてしか理解できない。
平和は構造の中から自生するのではなく、地政学・軍事力・他国依存といった条件によって辛うじて成立する幻影である。
6. 次章への予告
次章(終章)では、本シリーズ全体を総括する。
戦争が古代から現代に至るまで常態であることを確認し、平和がいかに「奇跡の断絶」でしかないかを再確認する。
その上で、国際連盟 (1920年~1946年) や 国際連合 (1945年~現在) といった国際機関が、平和を制度化しようとしながらも戦争抑止に失敗してきた歴史を取り上げる。
カントが『永遠平和のために (1795年)』で描いた理想と、現実の無力感の乖離を照らし出すことで、平和幻想の制度的な脆さを示す。
結論として、「平和を維持する努力は、制度に委ねて安泰となるものではなく、常に奇跡を繰り返し再生産する営みである」ことを明らかにする。