Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

第3章│近代 ― 国民国家と総力戦の時代

0. 近代の範囲

 ここでいう「近代」とは、ヴェストファーレン条約(1648年)から第一次世界大戦の勃発(1914年)までを指す。
 おおよそ 17世紀半ばから19世紀末 にかけての時代であり、戦争は宗教から解放されて「国家の道具」として制度化され、やがて「国民全員を戦争に動員する仕組み」へと進化していった。
 ここにおいても、平和は例外であり、戦争が人類史の常態であることがより明確になる。


1. 戦争主体としての国家の発明

 ヴェストファーレン条約 (1648年) は「ヨーロッパに平和をもたらした」と語られるが、それは幻想にすぎない。
 実際には、「主権国家」という新しい戦争主体を承認したにすぎなかった。
 哲学者 トマス・ホッブズ (1588年–1679年)『リヴァイアサン』で「万人の万人に対する闘争」を抑えるために国家が必要だと説いたが、その国家こそが「合法的に戦争を行う装置」となった。
 ここで平和は、国家間の戦争を一時的に抑える「契約の幻影」としてしか存在しない。


2. フランス革命と国民皆兵

 フランス革命 (1789年~1799年) は自由と平等を掲げながら、同時に「国民皆兵制」を発明した。
 戦争はもはや傭兵や貴族の専売特許ではなく、「国民全体の義務」となった。
 哲学者 ジャン=ジャック・ルソー (1712年–1778年) が『社会契約論』で唱えた「一般意志」は、革命の中で「国民を戦争に動員する大義」へと転化した。
 つまり革命の理念は、平和ではなく戦争の常態をさらに拡張する結果となった。


3. ナポレオン戦争と戦争の合理化

 ナポレオン・ボナパルト (1769年–1821年) が指導した ナポレオン戦争 (1803年~1815年) は、国民皆兵の仕組みを利用し、ヨーロッパ全土を戦場にした。
 軍事理論家 カール・フォン・クラウゼヴィッツ (1780年–1831年) は『戦争論』において「戦争は政治の延長である」と定義し、戦争を人類史の常態に位置づけた。
 彼の思想は、平和を「戦争の一時停止」にすぎないと示す理論的根拠を与えた。


4. 帝国主義と植民地戦争

 19世紀、ヨーロッパ列強は「文明化の使命」を掲げつつ、アジア・アフリカを植民地化した。

 哲学者 ジョン・スチュアート・ミル (1806年–1873年) は『自由論』で文明の発展を語ったが、その裏側では「未開社会を教育する」という名目での戦争が正当化されていた。
 帝国主義は「平和の使命」という仮面をかぶった戦争であった。


5. 総力戦の前夜

 産業革命は戦争を技術的に進化させた。鉄道・電信・機関銃・鉄甲艦――すべてが国家総力戦の準備装置となった。

 こうして人類は、第一次世界大戦という「総力戦の極限」に突入する準備を整えていたのである。


6. 近代主要戦争の年表(思想史視点)


7. 次章への予告

 次章では、20世紀を舞台に「戦争の変容と隠蔽」を扱う。
 第一次世界大戦 (1914年~1918年)第二次世界大戦 (1939年~1945年) を中心に、冷戦・代理戦争・非軍事的戦争(経済戦・情報戦・サイバー戦)へと変貌する過程を検証する。
 近代が準備した総力戦の仕組みは、現代において「戦争が隠蔽される形で常態化する」ことに繋がっていく。


📑 戦争は非常事態ではなく常態である 目次