第3章│近代 ― 国民国家と総力戦の時代
執筆日: 2025-09-24
公開日: 2025-10-18
0. 近代の範囲
ここでいう「近代」とは、ヴェストファーレン条約(1648年)から第一次世界大戦の勃発(1914年)までを指す。
おおよそ 17世紀半ばから19世紀末 にかけての時代であり、戦争は宗教から解放されて「国家の道具」として制度化され、やがて「国民全員を戦争に動員する仕組み」へと進化していった。
ここにおいても、平和は例外であり、戦争が人類史の常態であることがより明確になる。
1. 戦争主体としての国家の発明
ヴェストファーレン条約 (1648年) は「ヨーロッパに平和をもたらした」と語られるが、それは幻想にすぎない。
実際には、「主権国家」という新しい戦争主体を承認したにすぎなかった。
哲学者 トマス・ホッブズ (1588年–1679年) は『リヴァイアサン』で「万人の万人に対する闘争」を抑えるために国家が必要だと説いたが、その国家こそが「合法的に戦争を行う装置」となった。
ここで平和は、国家間の戦争を一時的に抑える「契約の幻影」としてしか存在しない。
2. フランス革命と国民皆兵
フランス革命 (1789年~1799年) は自由と平等を掲げながら、同時に「国民皆兵制」を発明した。
戦争はもはや傭兵や貴族の専売特許ではなく、「国民全体の義務」となった。
哲学者 ジャン=ジャック・ルソー (1712年–1778年) が『社会契約論』で唱えた「一般意志」は、革命の中で「国民を戦争に動員する大義」へと転化した。
つまり革命の理念は、平和ではなく戦争の常態をさらに拡張する結果となった。
3. ナポレオン戦争と戦争の合理化
ナポレオン・ボナパルト (1769年–1821年) が指導した ナポレオン戦争 (1803年~1815年) は、国民皆兵の仕組みを利用し、ヨーロッパ全土を戦場にした。
軍事理論家 カール・フォン・クラウゼヴィッツ (1780年–1831年) は『戦争論』において「戦争は政治の延長である」と定義し、戦争を人類史の常態に位置づけた。
彼の思想は、平和を「戦争の一時停止」にすぎないと示す理論的根拠を与えた。
4. 帝国主義と植民地戦争
19世紀、ヨーロッパ列強は「文明化の使命」を掲げつつ、アジア・アフリカを植民地化した。
- アヘン戦争 (1840年~1842年, 1856年~1860年) は自由貿易の名を借りた侵略だった。
- インド大反乱 (1857年~1859年) はイギリス支配に対する抵抗だが、「秩序維持」という名で鎮圧された。
哲学者 ジョン・スチュアート・ミル (1806年–1873年) は『自由論』で文明の発展を語ったが、その裏側では「未開社会を教育する」という名目での戦争が正当化されていた。
帝国主義は「平和の使命」という仮面をかぶった戦争であった。
5. 総力戦の前夜
産業革命は戦争を技術的に進化させた。鉄道・電信・機関銃・鉄甲艦――すべてが国家総力戦の準備装置となった。
- 南北戦争 (1861年~1865年) は、産業力と国民動員が勝敗を決することを示した。
- 普仏戦争 (1870年~1871年) は短期間でドイツ帝国の成立を導き、「戦争が国家誕生の契機」であることを示した。
- 日清戦争 (1894年~1895年)、日露戦争 (1904年~1905年) は、非ヨーロッパ世界でも列強型の戦争が遂行され得ることを証明した。
こうして人類は、第一次世界大戦という「総力戦の極限」に突入する準備を整えていたのである。
6. 近代主要戦争の年表(思想史視点)
- 1648年: ヴェストファーレン条約 ― 国家という戦争主体の承認。
- 1789年~1799年: フランス革命 ― 自由の理念が戦争動員へ。
- 1803年~1815年: ナポレオン戦争 ― 総力戦の原型。
- 1840年~1842年, 1856年~1860年: アヘン戦争 ― 自由貿易の名を借りた侵略。
- 1857年~1859年: セポイの反乱 ― 帝国秩序への抵抗。
- 1861年~1865年: 南北戦争 ― 産業力と国民動員の勝敗。
- 1870年~1871年: 普仏戦争 ― 国家誕生の契機。
- 1894年~1895年: 日清戦争 ― 非西洋の近代戦争。
- 1904年~1905年: 日露戦争 ― 列強と肩を並べる戦争遂行。
7. 次章への予告
次章では、20世紀を舞台に「戦争の変容と隠蔽」を扱う。
第一次世界大戦 (1914年~1918年) と
第二次世界大戦 (1939年~1945年) を中心に、冷戦・代理戦争・非軍事的戦争(経済戦・情報戦・サイバー戦)へと変貌する過程を検証する。
近代が準備した総力戦の仕組みは、現代において「戦争が隠蔽される形で常態化する」ことに繋がっていく。