第2章│二類型から三軸へ ― 悪の類型学の拡張
執筆日: 2025-09-11
公開日: 2025-10-03
1. 伝統的な二類型
倫理や法律において、悪は長らく「故意」か「過失」かで整理されてきた。
- 故意:悪い結果を予測し、それでも選択すること。
- 過失:結果を予測できず、注意を怠ったこと。
この二分法は法廷での責任判断において有効であり、人間の行為を裁く基準として機能してきた。
2. アーレントによる揺さぶり
しかし、ハンナ・アーレントが提示した「悪の凡庸さ」は、この古典的枠組みを動揺させた。
アイヒマンは「故意の悪人」でも「単純な過失者」でもなく、思考を放棄した結果として悪を遂行した存在だった。
この事例は、「故意 or 過失」だけでは人間の行為を説明しきれないことを示している。
3. 新しい軸を加える必要性
悪をより精密に理解するためには、二類型に加えて別の次元を導入する必要がある。
私はここにふたつの軸を追加する。
-
自覚 or 無自覚
― 自分が悪を行っていると認識しているか否か。
― アイヒマンは「職務を果たしただけ」と信じており、無自覚に属する。 -
主体 or 客体
― 自らの意思で選んだのか、それとも命令や制度に従ったのか。
― アイヒマンは命令に従う客体でありながら、その枠内で工夫を凝らした点で主体的でもあった。
4. 三軸モデルの提示
こうして、悪を三つの軸で把握する「悪の地図」が形をとる。
- 故意 or 過失
- 自覚 or 無自覚
- 主体 or 客体
この三軸を組み合わせると、単純な二類型では捉えられなかった多様な「悪の類型」が座標として可視化される。
5. グラデーションとしての悪
重要なのは、この分類が「白か黒か」ではなく、グラデーションの地図として機能する点である。
人は完全に「主体」か「客体」に分けられるわけではなく、アイヒマンのように「客体寄りの主体」として存在する場合もある。
この柔軟性こそが「悪の地図」の強みであり、人間の行為の複雑さを反映できる。
6. 現代に広がる応用
この三軸モデルは、戦争犯罪や組織犯罪だけでなく、現代社会のあらゆる場面に応用できる。
- 会社での命令遵守
- SNSでの集団同調
- 家庭や学校での慣習的行動
どれもが「故意/過失」「自覚/無自覚」「主体/客体」という三つの軸の中に位置づけられ、悪の可能性を帯びている。
7. 次章への橋渡し
次章では、この三軸モデルの中でも特に重要な概念、「内面的ネオテニー(内面的幼形成熟, Inner Neoteny)」 を取り上げる。
それは凡庸な悪を現代社会に接続する核心概念であり、人間性の空洞化を可視化するラベルである。