第4章│意図された悪 ― 戦争と権力のリーダー
執筆日: 2025-09-11
公開日: 2025-10-05
1. 戦争リーダーの本質
歴史を振り返ると、戦争を継続し、数え切れない犠牲を生み出してきたのは「権力を持つリーダー」だった。
彼らは自らの意思で決定を下し、民衆や兵士を動員し、国家の機構をフルに利用して戦争を遂行した。
重要なのは、彼らが「結果を知らなかった」わけではないという点である。
犠牲者が出ることを十分に予測し、その痛みや悲劇を理解しながらも、なお自らの利益や国家の論理を優先した。
ここに「意図された悪」の典型がある。
2. アーレントの視点との対比
アーレントが描いた「悪の凡庸さ」は、思考を欠いた平凡な人間が大規模な悪に加担する姿だった。
一方、戦争リーダーの悪はその対極にある。
- アイヒマン型:思考停止と無自覚さが生んだ悪。
- リーダー型:自覚し、予測し、なお選択した悪。
両者は異なるが、しばしば同じシステムの中で補完関係を成す。
命令する者と遂行する者が噛み合うことで、戦争は巨大な機械のように回り始める。
3. 権力欲と合理化
リーダーが「意図された悪」を実行する際には、必ず自己正当化の言葉が伴う。
- 「国家のため」
- 「国民を守るため」
- 「歴史的使命のため」
これらは表向きの理由にすぎず、内心には権力維持、支配欲、名誉欲がある。
彼らは結果を理解したうえで、犠牲を「合理化」し、自らの決定を正当化する。
4. 成熟の逆説
第3章で扱った 内面的ネオテニー は、未成熟を抱え込み、無自覚に悪をばらまく存在だった。
では「成熟」すれば人間は善に近づくのか? その問いに対して、戦争リーダーは冷酷な答えを突きつける。
成熟し、予測力を持ち、責任を自覚した人間でも、その能力を悪に向けることができる。
むしろ未成熟さが凡庸な悪を生むなら、成熟は意図された悪を強化しうる。
つまり「未成熟=悪」ではなく、「成熟=善」でもない。
成熟だけを求める方向性では、善悪の境界を示せないのだ。
5. 悪の地図における位置
三軸モデルで「戦争と権力のリーダー」を座標化すると、典型的にこうなる。
- 故意 or 過失 → 故意。結果を予測し、それでも選んでいる。
- 自覚 or 無自覚 → 自覚。自分が悪を行っていることを認識している。
- 主体 or 客体 → 主体。自らの意思と権力で実行している。
👉 つまり、戦争リーダーの類型は 「故意 かつ 自覚 かつ 主体」 という座標に位置づけられる。
6. 内面的ネオテニーとの対照
- 内面的ネオテニー:未成熟、予測せず、無自覚、客体的。
- 戦争リーダー:成熟、予測し、自覚的、主体的。
両者は対極にあるが、どちらも「悪」を生み出す。
ここに悪の逆説がある。未成熟でも成熟でも、人間は悪に堕ち得る。
7. 善悪を測る新たな物差しへ
「内面的ネオテニー」は未成熟の悪、
「戦争リーダー」は成熟の悪。
ふたつを対照することで見えてくるのは、善悪の基準を「成熟度」に還元してはならないということである。
必要なのは、成熟/未成熟を超えて、人間が自らの思考と想像力をどう使うかを問う視点である。