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Shin Sugawara // 菅原真

第4章│意図された悪 ― 戦争と権力のリーダー

1. 戦争リーダーの本質

 歴史を振り返ると、戦争を継続し、数え切れない犠牲を生み出してきたのは「権力を持つリーダー」だった。
 彼らは自らの意思で決定を下し、民衆や兵士を動員し、国家の機構をフルに利用して戦争を遂行した。

 重要なのは、彼らが「結果を知らなかった」わけではないという点である。
 犠牲者が出ることを十分に予測し、その痛みや悲劇を理解しながらも、なお自らの利益や国家の論理を優先した。
 ここに「意図された悪」の典型がある。


2. アーレントの視点との対比

 アーレントが描いた「悪の凡庸さ」は、思考を欠いた平凡な人間が大規模な悪に加担する姿だった。
 一方、戦争リーダーの悪はその対極にある。

  • アイヒマン型:思考停止と無自覚さが生んだ悪
  • リーダー型:自覚し、予測し、なお選択した悪

 両者は異なるが、しばしば同じシステムの中で補完関係を成す。
 命令する者と遂行する者が噛み合うことで、戦争は巨大な機械のように回り始める。


3. 権力欲と合理化

 リーダーが「意図された悪」を実行する際には、必ず自己正当化の言葉が伴う。

  • 「国家のため」
  • 「国民を守るため」
  • 「歴史的使命のため」

 これらは表向きの理由にすぎず、内心には権力維持、支配欲、名誉欲がある。
 彼らは結果を理解したうえで、犠牲を「合理化」し、自らの決定を正当化する。


4. 成熟の逆説

 第3章で扱った 内面的ネオテニー は、未成熟を抱え込み、無自覚に悪をばらまく存在だった。
 では「成熟」すれば人間は善に近づくのか? その問いに対して、戦争リーダーは冷酷な答えを突きつける。

 成熟し、予測力を持ち、責任を自覚した人間でも、その能力を悪に向けることができる
 むしろ未成熟さが凡庸な悪を生むなら、成熟は意図された悪を強化しうる。

 つまり「未成熟=悪」ではなく、「成熟=善」でもない。
 成熟だけを求める方向性では、善悪の境界を示せないのだ。


5. 悪の地図における位置

 三軸モデルで「戦争と権力のリーダー」を座標化すると、典型的にこうなる。

  1. 故意 or 過失故意。結果を予測し、それでも選んでいる。
  2. 自覚 or 無自覚自覚。自分が悪を行っていることを認識している。
  3. 主体 or 客体主体。自らの意思と権力で実行している。

👉 つまり、戦争リーダーの類型は 「故意 かつ 自覚 かつ 主体」 という座標に位置づけられる。


6. 内面的ネオテニーとの対照

  • 内面的ネオテニー:未成熟、予測せず、無自覚、客体的。
  • 戦争リーダー:成熟、予測し、自覚的、主体的。

 両者は対極にあるが、どちらも「悪」を生み出す。
 ここに悪の逆説がある。未成熟でも成熟でも、人間は悪に堕ち得る。


7. 善悪を測る新たな物差しへ

「内面的ネオテニー」は未成熟の悪、
「戦争リーダー」は成熟の悪。

 ふたつを対照することで見えてくるのは、善悪の基準を「成熟度」に還元してはならないということである。
 必要なのは、成熟/未成熟を超えて、人間が自らの思考と想像力をどう使うかを問う視点である。


📑 悪の地図 目次