第4章│性的自己否定の暴力性─『バキバキ童貞』に潜む倫理的リスク
執筆日: 2025-04-29
公開日: 2025-06-17
はじめに
前回は、キャラクター経済における『バキバキ童貞』という自己否定的キャラクター演技が演者自身に与える心理的影響やその限界について分析した。特に、演者の自己認識や人格形成に与える深刻な影響、演者とキャラクター間の境界が曖昧になることによるリスクについて掘り下げ、キャラクター経済モデルが持つ構造的問題を明らかにした。
今回は、性的自己否定の表現に特化し、その心理的暴力性や社会的影響、そして倫理的な課題について具体的な事例や研究を通じて検証する。
問題提起
芸人ぐんぴぃが演じる『バキバキ童貞』というキャラクターは、性的失敗や自己否定を繰り返し表現することで視聴者に強烈な印象を与えている。しかし、性的自己否定をコンテンツとして繰り返し演じることが、演者自身や視聴者にどのような心理的・社会的影響を及ぼすかについて十分な議論がなされていない。本稿では、『バキバキ童貞』における性的自己否定の暴力性や倫理的リスクを具体的な事例や研究成果を踏まえて検証し、その限界を明らかにする。
性的自己否定の心理的暴力性
性的成功や魅力を肯定的に描く一般的なメディア表現とは対照的に、『バキバキ童貞』は性的失敗や性的疎外感を極端な自己否定的スタイルで提示する。演者であるぐんぴぃがこのような表現を繰り返すことで、自尊心や自己評価の慢性的な低下が引き起こされ、自己否定的思考が定着してしまう可能性が高まる。心理学研究では、自己否定的ユーモアが継続すると精神的健康に有害であることが指摘されており(Kuiper & Martin, 1998)、演者自身に対する一種の心理的暴力として機能し、長期的な精神的ダメージを与えるリスクがある。
具体的な事例としては、第3章│キャラクター経済と演者の内面分離の限界─YouTube時代の表現活動と心理的リスクにて触れた著名なコメディアンたちの公言内容を確認して欲しい。
性的表現の社会的影響
『バキバキ童貞』における性的表現で頻繁に使用される「中出し」という性的スラングは、アダルトビデオ(AV)における性行為の直接的表現とは異なった文脈を持っている。AVでは明らかに成人向けとして位置付けられたコンテンツの範囲内で消費される表現であるが、『バキバキ童貞』がYouTubeという一般的なプラットフォーム上で、特に子供が生まれるという生命の誕生に関する話題に対しても反射的かつ軽率に「中出し」と表現を用いることは、視聴者や特に妊娠・出産が人生の一部となりうる女性たちに対する間接的な暴力性をはらんでいる。この過激な表現の性質は、テロップをモザイクで隠したり、音声を加工したりすることで暴力性を回避できるものではない。
メディア研究では、性的表現が社会の価値観に与える影響についての批判的な議論があり、軽薄な性的表現が性や生命に対する社会的な認識や感受性を鈍化させることが懸念されている(Attwood, 2006)。
キャラクターと自己認識の境界喪失
性的自己否定をキャラクターとして演じることが長期化すると、演者自身の現実の自己認識や人格との境界が曖昧になりかねない。ぐんぴぃ自身も、プライベートでは女性とまともに会話ができないことを示唆しており、この特性は幼少期から続くコミュニケーション上の困難を引きずった結果であることが考えられる。成人期において、自己否定を中心としたアプローチやキャラクター演技がこの特性をさらに強化・固定化させ、対人関係の不安や自己表現の障害を深刻化させている可能性がある。
また、ぐんぴぃは動画内で「自分の好きなことしかやっていない」としばしば発言しているが、これについても慎重な考察が必要である。トラウマに基づく強迫観念が無意識のうちに自己認識を侵食し、本来ならば【望まない行動】や【心理的負担の大きい表現】を、誤って【自分が好きなこと】【望んでいること】と捉えてしまう心理的防衛反応が働いている可能性がある。この点についても、心理的影響を専門的な視点からさらに掘り下げて検討する必要があるだろう。
このように性というプライベートかつセンシティブな領域で否定的な表現を反復することは、演者自身が本来持つべき自己肯定感を蝕み、現実生活においても対人関係や自己認識の混乱や葛藤を増大させ、精神的健康に深刻な悪影響を及ぼす可能性を示唆している。
性的表現に伴う倫理的課題
メディアにおける性的自己否定的表現は現在、明確な倫理的ガイドラインが設けられていない。そのため、制作者や演者が表現の倫理的影響を深く考慮せずにコンテンツを制作する状況が続いている。ぐんぴぃのケースは、この問題の典型例であり、演者自身の心理的安全性や尊厳を守るためにも倫理的基準を策定する必要性を示唆している。
次回への展開
本章では、『バキバキ童貞』というキャラクターが持つ性的自己否定的表現の暴力性と倫理的リスクについて具体的な事例や研究を通じて明らかにした。次章では、視聴者や制作者がこうした自己否定的コンテンツにどのように加担しているかを社会的・構造的側面から掘り下げ、無意識のうちに生じる加害のメカニズムとその影響について詳しく分析する。
引用文献
- Kuiper, N. A., & Martin, R. A. (1998). Laughter and stress in daily life: Relation to positive and negative affect. Motivation and Emotion, 22(2), 133-153.
- Attwood, F. (2006). Sexed up: Theorizing the sexualization of culture. Sexualities, 9(1), 77-94.