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Shin Sugawara // 菅原真

第2章│心理的影響の分析─『バキバキ童貞』演技とトラウマの再生産

はじめに

『バキバキ童貞』演技が演者の心理に与える影響を詳しく検証する。

  • トラウマ理論、社会心理学を用いて分析
  • 演技による心理的負荷を解説

 前章では『バキバキ童貞』というキャラクターが文化的に広く受容される背景を概説した。本章ではさらに深く、このキャラクターを演じることが演者自身の心理、特にトラウマの再生産にどのような影響を与えているのかを掘り下げる。社会心理学やトラウマ理論の観点を用いて詳細に検証し、演技という行為がもたらす心理的負荷を分析する。


トラウマ理論から見た『バキバキ童貞』演技

トラウマが演技を通じて再体験される問題点を説明する。

  • 演者が無意識に過去の苦痛を再現する可能性
  • トラウマの強化による心理的悪化リスク
  • 具体的な症例研究や類似事例を参考に

 本稿で扱うトラウマ理論は、ヴァン・デア・コーク (Van der Kolk, B. A., 1989) の『The Compulsion to Repeat the Trauma: Re-enactment, Revictimization, and Masochism』(トラウマ再演の強迫性:再演、再被害化、マゾヒズム)およびハーマン (Herman, J. L., 1992) の『Trauma and Recovery』(トラウマと回復)の中で提唱された再演メカニズムの概念を基礎としている。これらの理論では、未処理のトラウマが無意識的な再演行動を引き起こし、結果的に心理的外傷の強化や慢性化をもたらす危険性が指摘されている。

  • Van der Kolk, B. A. (1989). The Compulsion to Repeat the Trauma: Re-enactment, Revictimization, and Masochism. Psychiatric Clinics of North America, 12(2), 389–411.
  • Herman, J. L. (1992). Trauma and Recovery: The Aftermath of Violence—from Domestic Abuse to Political Terror. Basic Books.

 『バキバキ童貞』のキャラクターを演じる演者にこの理論を適用すると、演者は自己否定的なパフォーマンスを通じて過去の精神的外傷を無意識に繰り返し再体験している可能性が高まる。特に、自己否定という表現方法が視聴者に支持される環境下では、演者は無意識のうちに自分のトラウマを誇張し、繰り返し表現することが承認や共感を得る手段となってしまう。

 具体的には、演者が過去に体験した社会的孤立や自己嫌悪感を誇張して描くことで、視聴者からの承認を得るサイクルが生まれる。このような状況下では、トラウマが解消されるどころか、逆に再体験され続けることで心理的苦痛が深刻化し、演者の精神的健康を慢性的に悪化させるリスクを生む。特にトラウマ再演行動は、徐々に自身の記憶や感情に対するコントロールを奪い、日常生活の中でもトラウマ体験が無意識的に呼び起こされる状態に陥る可能性がある。

 類似事例としては、舞台や映像表現において繰り返しネガティブな自己像を演じた結果、抑うつ症状や強迫観念が悪化した事例が多数報告されている。実際の症例研究においては、再演行動が自己イメージの歪みを固定化し、精神的外傷を癒すどころか強化・固定化するプロセスが詳細に検証されている。

 さらに深刻なのは、演者自身がその再演行動の影響に気付いていない場合である。無意識の再演が続くことで、トラウマと自己表現が不可分に結びつき、演者自身が自己否定を自らの本質的なアイデンティティとして受け入れてしまう恐れがある。こうした状況を回避するためには、心理学的なサポート体制の整備、自己表現とトラウマ再演の分離を意識的に促す環境作りが不可欠である。

 本稿では、これらの理論的枠組みと実際の症例研究を踏まえて、『バキバキ童貞』のような自己否定型キャラクターを演じることが心理的健康に及ぼす深刻なリスクを明確にし、適切な予防策や介入方法についても検討していく必要がある。


自己否定と承認欲求の心理的ジレンマ

自己否定を通じて承認を求める演者のジレンマについて。

  • 自己否定による社会的承認の獲得
  • 承認が増えるほど自己否定が激化
  • 自己認識や自尊心の悪循環
  • 社会的アイデンティティ理論や承認欲求理論を利用

 本稿で扱う自己否定と承認欲求の心理的ジレンマは、社会的アイデンティティ理論 (Social Identity Theory) および承認欲求理論に基づいて考察している。社会的アイデンティティ理論はタジフェルとターナー (Tajfel & Turner, 1979) が提唱した理論であり、個人は自身が所属する集団の価値や評価を自己評価に取り入れるという心理メカニズムを指摘している。一方で承認欲求理論についてはマズロー (Maslow, 1943) が定式化した欲求階層理論の一部として位置付けられ、個人が他者や社会からの承認を強く求める欲求を持つことを説明している。これらの理論は、個人が集団からの承認を得るために自己イメージを無意識的または意識的に操作する心理的メカニズムと、その結果生じる自己認識の歪みや内面葛藤を説明する際に有用である。

  • Tajfel, H., & Turner, J. C. (1979). An integrative theory of intergroup conflict. In W. G. Austin & S. Worchel (Eds.), The Social Psychology of Intergroup Relations (pp. 33–47). Brooks/Cole.
  • Maslow, A. H. (1943). A theory of human motivation. Psychological Review, 50(4), 370–396.

 『バキバキ童貞』というキャラクター演技においては、演者が自己否定を通じて社会的承認を獲得する構造が明瞭に見られる。視聴者やファンからの共感や賞賛を得るために、自らの欠点や失敗を極端に誇張し、滑稽な形で自己否定を表現する。この行動がSNSやYouTubeなどで高評価や共感を生むと、演者は承認欲求を満たすためにさらに自己否定を激化させざるを得なくなる。結果として、演者は自ら設定した自己否定的なキャラクター像を深刻化させ、自己イメージの歪みを強化する悪循環に陥る可能性がある。

 社会的アイデンティティ理論の視点から見ると、演者は自身を『バキバキ童貞』という集団(ファンコミュニティ)の一部として位置付け、コミュニティから受ける評価を自己価値と強く結びつけている。このため、否定的自己表現が集団内で高く評価されるほど、その表現は演者自身のアイデンティティの核心となり、容易に変更できなくなってしまう。さらに、承認欲求理論の観点からは、自己否定がもたらす承認や共感が強力な報酬となり、心理的な依存状態を生じさせ、自己認識や自尊心を犠牲にしてでも社会的承認を得ようとする危険性が指摘される。

 このジレンマの具体的な影響として、演者自身の精神的健康悪化、自己効力感の喪失、さらには自己肯定感や日常生活への悪影響が懸念される。実際のケーススタディでは、自己否定を繰り返す表現活動が徐々に演者の自尊心を低下させ、慢性的な不安や抑うつ症状を引き起こした事例が報告されている。これらの事例を通じて、自己否定型エンターテインメントが抱えるリスクをより具体的かつ明確に理解する必要がある。

 以上の理論的枠組みと具体的なケース研究を踏まえ、演者自身がどのように自己価値観の混乱や内面的葛藤を経験しているかを深掘りし、演者の心理的健康を保護するための社会的な提言や対策についても検討を行うことが重要となる。


次回への展開

次章では、キャラクター経済が演者にもたらす心理的負荷とその限界を詳しく分析する。

  • YouTubeなどのキャラクター経済が生む心理的リスクの検討
  • 演技を一部コンテンツに限定するリスク管理の有効性と限界
  • 自己否定的キャラクターによる持続的・構造的な心理的影響の考察

 本章では『バキバキ童貞』というキャラクターが演者に与える心理的影響をトラウマ理論や社会心理学の観点から検討した。しかし、この問題は単なる個人の心理に留まらない。次章では、このキャラクターが置かれる現代のメディア環境、特にYouTubeを中心とするキャラクター経済の中で、演者が抱える心理的負荷とその限界について考察を深める。具体的には、演技を限定的に位置づけることによるリスク管理の試みとその実効性、さらには自己否定的キャラクターがもたらす持続的かつ構造的な心理的影響について明らかにする。

 なお、各問題への包括的な解決策および提言については、第6章【最終回】でまとめて提示する。