第1回│金箔のように薄く伸ばされた魂なき連載たちへ
執筆日: 2025-04-22
公開日: 2025-07-02
この世には物語の延命装置が多すぎる
物語を【終わらせる勇気】が問われる時代
終わらせる勇気を持たぬ物語が、いかにして文化の土壌を荒らすのか。この問いは単なる文学論に留まらず、私たちの【物語との向き合い方】そのものを問い直すものである。
物語には本来、生まれ、成長し、そして自然に終わりを迎えるべき適切な寿命が存在する。しかし現代の漫画業界においては、「まだ描ける」「まだ利益を生む」という商業的な圧力によって、作品は限界を超えて引き伸ばされる。この延命措置は、物語が本来持つべきテーマ性や芸術的価値を徐々に侵食し、作者の創造性を奪い取ってしまう。
商業主義に呑まれる創造性
漫画の延命措置によって、キャラクターや設定は自己目的性を失い、次第に物語の本質的な魅力が薄れ、作品は【金箔のように薄く伸ばされた】空虚な商品と化す。読者との信頼関係は次第に崩壊し、本来語られるべきだった物語の輪郭は曖昧になり、作家は自らの意図を越えて市場の要望に従属することを強いられる。
こうした現象は、『ドラゴンボール』や『名探偵コナン』、『ジョジョの奇妙な冒険』といった数々の作品で顕著に現れている。このシリーズでは、それらの具体例を通じて、【延命措置】がいかに作家と物語の関係性を歪ませるかを批評的に掘り下げていく。
物語の寿命を決めるのは誰か
物語の適切な寿命とは、誰がどのように決めるべきなのか。この問いに対する答えは単純ではないが、まずは作家自身が物語の倫理的な責任を自覚し、終わりを見極める能力と勇気を持つことが重要な課題となるだろう。業界や読者がどのように関与すべきかについても、各論を通じて具体的に掘り下げていきたい。
これからの展開
本シリーズを通じて、私たちは物語が本来持つべき姿を再確認し、商業主義と創作活動の緊張関係に焦点を当てていく。その過程で浮かび上がる問題や課題を明確にしながら、物語が健全な文化的価値を取り戻すための方策を模索していこうと思う。