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Shin Sugawara // 菅原真

最終回│物語の自然な寿命とは何か──倫理的寿命論の提唱

物語の自然な寿命を哲学的に定義する

 物語には適切な終わりが存在する。その終わりは、作家の創作意図、物語の構造的な完成度、登場人物の成長が最大限に達した瞬間に訪れるものである。この倫理的な視点を漫画業界全体が共有することで、作品の芸術性や文化的価値を守り抜くことが可能となる。


延命措置がもたらす深刻な弊害

 しかし実際には、「まだ描ける」「まだ収益を生む」という商業主義的圧力により、多くの物語はその自然な寿命を無視して引き伸ばされている。この延命措置の中で物語は、内容の実体を失い、登場人物は自己の成長を否定され、作品は単なる商品として消費され続ける。この状態はもはや創作とは呼べず、作者は本来の創造者から、興行主へと変質してしまう。


作家と業界が果たすべき【倫理的責任】

 こうした状況を是正するには、作家および漫画業界全体が【物語の倫理的責任】を自覚し、適切な時期に作品を終える勇気を持つことが求められる。業界全体で明確なガイドラインを共有し、作家が商業的圧力から自由に、自らの意思で作品を終える環境を整備することが不可欠である。


推奨する模範的な参考作品

  • 『火の鳥』(手塚治虫):哲学的テーマを完璧な構造で描き切り、明確な終わりを提示した最高峰の作品。
  • 『スラムダンク』(井上雄彦):人気の絶頂期にあえて物語を終えた作家の勇気と成熟を示す代表例。

【総括】終わることは真の創作的勝利である

 物語の価値はその長さではなく、密度と完成度にこそ宿る。終わるべき地点を見極め、潔く幕を引く作家こそが、真に物語を敬愛し、その本質を理解した者である。

 私たちは、薄く引き伸ばされた金箔ではなく、短くとも濃密で鮮烈な生命に価値を見出すべきだ。

ディオは滅び、ジョナサンは伝説となった。

 【永遠に続くこと】は祝福ではない。それは祝福の仮面をかぶった地獄なのだ。

(完)


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