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Shin Sugawara // 菅原真

江藤拓氏│農林水産大臣辞任騒動

『行動の芸術』の観点からの前提整理

 『Art of Action(行動の芸術)』は哲学を【言葉】から【行動】へと根本的に転換する思想運動であり、抽象的な理論を具体的行動に実装し、その行動自体に美的価値を見出す思想である。

  • 思想や倫理の具体的な実装
  • 主体的かつ創造的な行動の美的評価
  • 自己の審美眼に基づく行動の尊重
  • 行動の連鎖による社会的影響
  • 批評のみで行動しない態度への否定
  • 実行自体に価値を置き、結果の成否は二次的

Art Of Action(AOA)の立場から江藤拓農林水産大臣、政府、関係者の言動を批評する。

 2025年5月18日、江藤拓農林水産大臣が佐賀市の自民党の会合で、「コメは買ったことがない。支援者がたくさんくださるので、売るほどある」と発言し、大きな波紋を呼んだ。この問題を、Art of Action(AOA)の観点から詳細に分析する。


【主体的】とは何か?──AOAの基準

 AOAがいう【主体的な行動】とは、単に自分で決めるという一般的な意味にとどまらず、次の三つの条件を満たした高度に自覚的で責任ある行動を指す。

①自己の審美眼への明確な自覚

  • 自分が何を美しいと感じるか、自分がどのような行動を通じて自己を表現したいかについて明確な意識を持つこと。
  • 自己の行動を【作品】として評価し、美的価値に忠実に実践すること。

②社会的影響への深い認識

  • 自分の行動や発言が社会にどのような影響を及ぼすかを深く考え、それに配慮した行動をとること。
  • 自己中心的な無自覚な言動を避けるための慎重さを持つこと。

③行動結果への責任ある覚悟

  • 自らの行動の結果を主体的に引き受ける覚悟を持つこと。
  • 批判や失敗から逃げず、結果を自己の美的価値観に基づいて次の行動の糧にすること。

江藤氏の発言の主体性を問う

 これらAOAの観点から見ると、江藤氏の「コメは買ったことがない」という発言は、以下の点で主体性を大きく欠いている。

(1)自己の審美眼への無自覚

 江藤氏の発言は、本人が《なぜこの発言をするのか》《この発言によって何を表現しようとしているのか》という自己の美的・倫理的基準に対する意識がまったく見られない。ただ無自覚に自己の現状を吐露したに過ぎず、AOAの理念である【行動を作品として意識的に実践する姿勢】から著しく逸脱している。

(2)社会的影響に対する無責任

 2025年当時、日本は【令和の米騒動】と呼ばれる米価高騰に見舞われ、多くの消費者や農家が苦しんでいた。その渦中での江藤氏の発言は、国民の苦境への配慮が完全に欠けており、AOAが重視する【社会的影響への慎重で深い認識】を著しく欠いている。

 彼が発言した場が政治的な会合であり、発言の社会的影響が大きいことは明らかだった。にもかかわらず、江藤氏は自らの言動が社会にどれほどの影響を与えるかを十分に洞察していなかった。

(3)結果への覚悟の欠落

 江藤氏は、批判を受けるとすぐに「発言は間違いだった」と撤回し、「実はスーパーでコメを買っていた」と釈明している。これは自己の発言の結果に対する責任意識の低さを示しており、自らの言葉の重みやその社会的影響を主体的に引き受ける覚悟がなかったことを露呈した。

 主体的であるためには、批判や失敗に直面した際に、安易な撤回ではなく【発言の真意】を自ら説明し、社会に与えた影響を自己責任で処理する必要がある。江藤氏はそれを怠り、受動的かつ防衛的な対応に終始した。


政府・与党の対応──主体性の欠如がもたらしたさらなる問題

 江藤氏の発言を受けた石破政権の対応も主体的とは言い難い。当初、江藤氏の続投を支持した石破首相は、野党や世論の批判が強まるとようやく事実上の更迭に踏み切った。これはAOAの視点で言えば【主体的な行動】ではなく、外圧に屈した消極的な対応であり、自らの審美的基準を持たない無責任な行動である。


主体性を示した野党と社会の反応

 一方で、野党やメディア、世論は江藤氏の言動に対して迅速かつ明確に批判を展開した。これらは社会が持つ健全な【美的直感】、つまりAOAが理想とする社会的審美眼を示した主体的行動だった。

 彼らの行動は、社会的な問題に直面した時に無自覚や無責任な対応を許さず、即座に自己の価値観に従った行動をとるというAOAの理想を体現している。


小泉進次郎氏の後任起用について

 後任として起用された小泉進次郎氏は、過去に環境大臣や自民党の農林部会長を歴任した経験があり、農政分野にも精通している。彼の若く積極的なイメージや、現場に即した柔軟な対応力が評価されている。政府が小泉氏を起用したのは、政策面での即戦力だけでなく、社会からの信頼回復を図り、主体的で創造的な行動を促進するためであろう。AOAの観点から見ても、この人事は主体性を回復し、農林水産政策の再建につながる前向きな一歩と評価できる。


結論──主体的行動の欠如が引き起こした政治的混乱

 今回の江藤拓農水相の発言および政権対応は、AOAが重視する主体性を著しく欠いていた。その結果、政治的混乱を招き、社会の信頼を損ねることとなった。

 今後、政治家や公人は、AOAのいう主体性──自己の美的基準への明確な自覚、社会的影響への深い認識、行動の結果への責任ある覚悟──を持ち、その行動を美的作品として社会に示すことが強く求められるだろう。

江藤拓氏の農林水産大臣辞任騒動についてのまとめ