Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

エンハンスト・ゲームズ│主体性なき挑発の行方

『行動の芸術』の観点からの前提整理

 『Art of Action(行動の芸術)』は哲学を【言葉】から【行動】へと根本的に転換する思想運動であり、抽象的な理論を具体的行動に実装し、その行動自体に美的価値を見出す思想である。

  • 思想や倫理の具体的な実装
  • 主体的かつ創造的な行動の美的評価
  • 自己の審美眼に基づく行動の尊重
  • 行動の連鎖による社会的影響
  • 批評のみで行動しない態度への否定
  • 実行自体に価値を置き、結果の成否は二次的

Art Of Action(AOA)の立場から『薬物解禁スポーツ大会(エンハンスト・ゲームズ)』を批評する。

 2026年にラスベガスで開催が予定されている『エンハンスト・ゲームズ』は、禁止薬物使用を公然と容認し、「人類の潜在能力を解放する」と称している。この前例のない試みは、大胆であると同時に、倫理的、健康的な観点から国内外で激しい議論を巻き起こしている。

 この問題を、Art of Action(AOA)の理念に基づき詳細かつ重厚に分析する。


【主体的】とは何か?──AOAの基準

 AOAにおける【主体的な行動】とは、単なる自己決定を超え、次の三つの厳格な条件を満たす高度に自覚的で責任ある行動を意味する。

①自己の審美眼への明確な自覚

  • 自己が何を美しいと感じ、何を表現したいのか明確な意識を持つ。
  • 自己の行動を芸術作品として捉え、忠実にその美的基準に従って実践する。

②社会的影響への深い認識

  • 自己の行動が社会に及ぼす影響を徹底的に考察し、それに十分配慮する。
  • 無自覚で自己中心的な行動を回避するための慎重さを堅持する。

③行動結果への責任ある覚悟

  • 自らの行動の結果に対する明確な覚悟を持つ。
  • 批判や失敗から逃げず、その結果を自己の美的価値観に基づき、次なる行動の基盤として活用する。

大会主催者側の主体性を問う

 AOAの視点から見て、『エンハンスト・ゲームズ』の主催者の主体性には致命的な欠陥がある。

(1)自己の審美眼への無自覚

 大会主催者の理念である「人間の限界を超える」という表現は、表面的な刺激性に終始しており、真の美的価値や深い倫理的考察を欠いている。その行動は美的創造ではなく、単なるセンセーショナリズムである。

(2)社会的影響に対する無責任

 薬物容認は参加者の生命や健康を危険にさらし、スポーツ倫理の根本的毀損につながる。この影響への慎重な配慮は全く見られず、利益や注目度を優先した無責任な社会的行為である。

(3)結果への覚悟の欠落

 主催者は、批判や社会的抵抗を予見できたにもかかわらず、これに対する主体的かつ責任ある対応策を欠いている。批判への対応も表面的で防衛的であり、自らの行動がもたらす結果に責任を持とうとする姿勢が希薄である。


メディア・社会の主体的対応

 対照的に、メディアや社会一般は迅速かつ鋭敏にこの問題を批判し、健康と倫理的側面の問題を正確に指摘している。このような反応は社会の健全な【美的直感】を示した主体的行動であり、AOAが理想とする審美眼の表れである。


結論──主体性の欠如による社会的混乱

 『エンハンスト・ゲームズ』はAOAが重視する主体性を決定的に欠いている。その結果として引き起こされる社会的混乱や倫理的退廃は計り知れないものとなる可能性が高い。

 今後、真に社会に寄与し、人間性の深層に触れるためには、自己の美的基準に対する明確な自覚、社会的影響への深遠な理解、行動の結果を受け止める覚悟を備えた主体的な行動こそが求められる。

『エンハンスト・ゲームズ』についてのまとめ

 ※記事内の「前大統領ドナルド・トランプ」との記述は、執筆時点の2025年5月22日においては「現大統領ドナルド・トランプ」となる。