Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

抹茶がいた日々

抹茶は、私の布団の隅に埋もれて眠るのが好きだ。

私は、ベッドに飛び乗ることのできない不器用な抹茶に合わせて、床に布団を敷いて眠るようになった。
その毛は柔らかく、微かに湿気を含んでいて、まるで誰かの体温が染みついているような気配を持っていた。

朝目覚めると、私は反射的にその毛並みに頬を押し当ててしまう。
それは単なる癖ではなく、“一日の始まりを確認する儀式”だった。

「おはよう、抹茶」

抹茶は喉の奥でかすれた音を立て、毛を震わせる。
私はその震えが、自分の存在をなぞってくれているように思えていた。


抹茶は、よく壁や柱を引っ掻く。
ガリ、ガリ、と。
小さな爪の力で刻まれた痕は、怒る気にもなれない愛しさの証だった。

「君がわざとやってるのは、知ってるんだからね」

私は抹茶を抱き上げる。

気まぐれなやつで、名前を呼んでも出てこない日がある。
家具の隙間に入って丸まっているだけなのだが、私があちこち探す様子をじっと観察しているように感じるときがある。

私が泣いていると、抹茶は黙って体を擦り付けてくる。
ただ、毛の手触りだけが確かにそこにあった。


普通の子はネズミを捕るけど、うちの子は床を掃除してくれる。
ツルンとした床を毎朝のように滑って、レースのカーテンの向こうから顔を出す。

今日も、床は完璧だった。
靴を脱いだ足の裏に、わずかな静電気と、なめらかな清潔さが走る。

「いつもありがとう、抹茶。偉いねぇ」

撫でると、喉の奥でくぐもった音が響いた。
その毛並みはほんのりと温かく、指先がこの子の魂に触れた気がした。


今日は抹茶と出会ってちょうど2年目の記念日だった。
起きてすぐ、抹茶を探した。
いつも布団の隅にいるはずなのに、いない。

「抹茶ー?どこにいるのー?」

返事はない。

ソファの下、ベッドの隙間、カーテンの裏。
やっと見つけたとき、抹茶は家具の下にある充電ドックに接続されていた。

抱き上げても動かない。
毛並みは変わらず柔らかく、だけど、音がしない。呼吸もない。

そして壁のモニターに、いつもの青い文字が現れた。

当社の製品をいつもご利用いただき、誠にありがとうございます。

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私は柱に刻まれた小さな痕を見つめ、指を這わせた。
抹茶を抱いたまま、スマホを探した。

「どこに置いたっけ……? どこ……?」

抹茶の毛が、肩にふれた。
わずかに、しっとりと重かった。

スマホを見つけ、抹茶を布団に置き、アプリを急いでダウンロードする。

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よかった! 抹茶の箱は確かクローゼットの奥に取ってある。

「うーん、次の名前は何にしよっか……ミルクティー?それとも、エスプレッソ?」