Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

第3部│精神と文化の酩酊:⑨テクノロジー

第9章 テクノロジーの酩酊

1. 問題提起

 21世紀に入り、人類が新たに深く酩酊する対象となったのがテクノロジーである。インターネット、SNS、スマートフォン、そして人工知能やメタバース――それらは利便性の追求を超え、私たちの注意、時間、感情を吸い込み、自己を忘却させる。テクノロジーの酩酊は、近代以前の宗教的陶酔や芸術的恍惚を置き換える「現代のトランス状態」として現れている。


2. 神経科学的基盤

 SNSやデジタルゲームが人間を強く惹きつけるのは、報酬系の断続的刺激にある。FacebookやInstagramの「いいね」通知は、変動比率強化スケジュールに基づき、人をスクリーンに繋ぎ止める(Meshi et al. 2013)。これはスロットマシンと同様の仕組みであり、ドーパミンが「次の反応」を予期させる。

 さらに、VRやメタバース環境では自己意識の境界が曖昧になり、感覚入力の統合が脳に「実在と同等の体験」を生み出す(Slater & Sanchez-Vives 2016)。テクノロジーの酩酊は、神経生理学的に「現実を超えた現実」を創出する。


3. 社会的・文化的文脈

 テクノロジーの酩酊は個人にとどまらず、社会構造をも変容させる。シャンタル・ムフらが論じる「アフェクティブ・ポリティクス」では、SNS上の感情の拡散が政治的動員を引き起こす(Mouffe 2018)。アルゴリズムによるフィードは、社会を「共鳴する酩酊空間」と化し、理性的討議よりも陶酔的感情が優位になる。

 また、バイング・チュル・ハンは『透明社会』において、デジタル時代を「自己をさらし、承認に依存する社会」と批判した(Han 2012)。テクノロジーの酩酊は、人々を互いの評価に酔わせ、終わりなき承認ゲームに巻き込んでいる。


4. 哲学的視点

 マルティン・ハイデッガーは『技術への問い』で、テクノロジーを単なる道具ではなく「存在を枠づける力」として捉えた(Heidegger 1954)。現代の酩酊としてのテクノロジーは、まさに存在の理解そのものを変容させている。

 ポール・ヴィリリオは「情報速度が社会を支配する」と述べ(Virilio 1995)、テクノロジーが時間意識を変形させ、人間を常時緊張と陶酔に晒すことを警告した。テクノロジーの酩酊は、利便の背後に「人間の存在論的方向性の変質」を潜ませている。


5. まとめ

 テクノロジーの酩酊は、断続的報酬に酔いしれるSNS依存、仮想空間への没入、承認ゲームに捕らわれる自己演出として現れる。それは個人を陶酔させるだけでなく、政治や文化の基盤をも揺るがす。

 宗教が超越への酩酊を、芸術が美への酩酊をもたらしたように、テクノロジーは「無限の接続と速度への酩酊」を人類に与えた。だがその酩酊は、自由を拡張するのか、あるいは人類を依存の深みに沈めるのか――それは未だ解かれていない問いである。


参考文献

  • Han, B.-C. (2012). Transparenzgesellschaft. Berlin.
  • Heidegger, M. (1954). Die Frage nach der Technik. Pfullingen.
  • Meshi, D., Morawetz, C., & Heekeren, H. R. (2013). Nucleus accumbens response to gains in reputation for the self relative to gains for others. Journal of Neuroscience, 33(10), 4395–4402.
  • Mouffe, C. (2018). For a Left Populism. London.
  • Slater, M., & Sanchez-Vives, M. V. (2016). Enhancing our lives with immersive virtual reality. Frontiers in Robotics and AI, 3, 74.
  • Virilio, P. (1995). La vitesse de libération. Paris.

シリーズ目次:Human Intoxication(人類の酩酊)