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Shin Sugawara // 菅原真

第3部│精神と文化の酩酊:⑦宗教

第7章 宗教の酩酊

1. 問題提起

 宗教は人類史において最も古く、最も持続的な酩酊の源泉である。祈り、儀礼、共同体的祭祀――これらは単なる信仰表明ではなく、人間を恍惚の状態へと導き、時間と自己の境界を溶かす。宗教の酩酊は、個人の内的救済を超えて集団的トランスを生み出し、文明の基盤を形づくってきた。


2. 神経科学的基盤

 祈りや瞑想は脳に特異な影響を与える。fMRI研究は、宗教的体験において前頭前野の活動が低下し、自己意識の境界が希薄になることを示した(Newberg & d’Aquili 2001)。さらに祈りや賛美歌はドーパミン・セロトニン系を刺激し、快楽と安定をもたらす。これらの作用は、薬物や性愛と同じ報酬系を介して「宗教的恍惚」を生み出している。


3. 集団儀礼とトランス

 エミール・デュルケームは『宗教生活の原初形態』において、宗教儀式を「集合的沸騰(effervescence)」と呼び、群衆が一体化する瞬間を分析した(Durkheim 1912)。太鼓のリズム、合唱、舞踏は、個人の身体を共同体のリズムに同調させ、トランス状態を誘発する。

 ヴィクター・ターナーもまた、祭祀における「リミナリティ(境界的状態)」を指摘し、参加者が社会的役割を一時的に脱ぎ捨て、共同体的恍惚に包まれると論じた(Turner 1969)。宗教の酩酊は、個を超えて「集団を一つの身体」として動かす力を持つ。


4. 信仰と陶酔

 宗教的信仰は、単なる観念ではなく「陶酔の経験」として生きられる。マックス・ヴェーバーは「宗教的カリスマ」を、共同体を揺り動かす力とした(Weber 1922)。信仰の陶酔は、倫理的規範を強化すると同時に、ときに狂信と暴力へ転化する。十字軍、ジハード、異端審問などはその暗黒の証左である。

 しかし同時に、宗教の酩酊は慰めと救済をもたらす。死や苦痛の不条理に直面した人間にとって、信仰の恍惚は「有限性に耐える力」として機能してきた。


5. 哲学的視点

 カール・ヤスパースは「軸の時代」概念において、紀元前1千年紀に宗教・哲学・倫理が同時多発的に生まれたことを指摘した(Jaspers 1949)。彼によれば、この時代に人類は「超越」との関わりを深め、酩酊を通じて新たな存在の地平を切り開いた。

 一方、ニーチェは『アンチクリスト』において、宗教の陶酔を「奴隷道徳の産物」として批判した(Nietzsche 1888)。宗教の酩酊は人類に力を与えると同時に、服従と抑圧の制度を再生産する。すなわち宗教の酩酊は「人類史の光と影」を象徴する。


6. まとめ

 宗教の酩酊は、個人の祈りにおける恍惚、儀礼における集団トランス、信仰における陶酔として、多層的に現れる。そこには救済と狂信の両面があり、人間を慰めると同時に戦争や弾圧を正当化する力にもなる。

 性愛や食が「身体の酩酊」であるなら、宗教は「精神と共同体の酩酊」である。宗教の酩酊を理解することは、人類史を照らす光源と闇をともに直視することにほかならない。


参考文献

  • Durkheim, É. (1912). Les formes élémentaires de la vie religieuse. Paris.
  • Jaspers, K. (1949). Vom Ursprung und Ziel der Geschichte. Zürich.
  • Newberg, A., & d’Aquili, E. (2001). Why God Won’t Go Away: Brain Science and the Biology of Belief. New York: Ballantine Books.
  • Nietzsche, F. (1888). Der Antichrist. Leipzig.
  • Turner, V. (1969). The Ritual Process: Structure and Anti-Structure. Chicago: Aldine.
  • Weber, M. (1922). Wirtschaft und Gesellschaft. Tübingen.

シリーズ目次:Human Intoxication(人類の酩酊)