第2部│社会と権力の酩酊:④戦争
執筆日: 2025-09-04
公開日: 2025-09-09
第4章 戦争の酩酊
1. 問題提起
戦争は人類史における最も破壊的な酩酊である。性愛や食が個体の身体に閉じた酩酊であるのに対し、戦争は国家や共同体を丸ごと巻き込み、組織化された暴力として爆発する。個人の欲望が集団に転写され、リーダーの意思決定が社会全体を狂気に導くとき、人類は理性を失い、酩酊の出口を見失う。
2. リーダーの没入
戦争は「一度始めたら止められない」性質を持つ。リーダーたちは勝利という出口を求め続け、妥協や撤退を敗北とみなし、自らの存在の正当性をかけて戦火を拡大させる。これは戦場の興奮が個人の神経生理を支配するだけでなく、政治権力と結びつくことで「国家的な依存症」へと変貌する。
歴史はその例に満ちている。第一次世界大戦は、各国の指導者が小さな誤算を修正できず、総動員体制に突入した「連鎖的酩酊」であった(Clark 2012)。ナチス・ドイツの指導層は、敗戦の記憶と人種的妄想に酩酊し、出口のない破滅戦へ突入した(Kershaw 2000)。戦争リーダーの酩酊は、国家そのものを「自己の延長」として抱え込み、その命運を握りつぶす。
3. 集団を巻き込む狂気
戦争の酩酊はリーダーにとどまらない。デュルケームが「集合的沸騰(effervescence)」と呼んだように、群衆は戦時に高揚と一体感を経験する(Durkheim 1912)。プロパガンダ、国旗、行進、敵への憎悪――それらは共同体を陶酔状態に導き、人々は自らの意志を忘れ、国家の戦闘機構に溶け込む。
戦争の酩酊は、酒や薬物の中毒と異なり、個人ではなく社会全体を中毒化させる。兵士は「兄弟愛」と「死の恐怖」が入り混じる極限状態で酩酊を経験し、市民は「勝利の幻影」に魅せられて犠牲を甘受する。このとき人類は、破壊と死をもって「生の強度」を実感するという逆説に陥る。
4. 哲学的視点
ヘーゲルは「歴史は戦争によって進む」と述べ、戦争を「精神の発展の契機」とみなした(Hegel 1837)。だがその発展は犠牲と狂気の上に築かれている。ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』において、大衆の無思考とプロパガンダが指導者の酩酊を支える構造を描いた(Arendt 1951)。
哲学的に見れば、戦争の酩酊は「有限性から逃れるための究極のトランス」である。だがその代償は、文明の破壊と人命の消耗という取り返しのつかない犠牲だ。戦争は人類の暗部に潜む「共同体的依存症」であり、出口を見失ったときに最も深い闇をもたらす。
5. まとめ
戦争の酩酊は、人類史に繰り返し現れる暗黒のリズムである。リーダーの没入が国家を飲み込み、群衆の高揚が理性を失わせ、文明は破壊と犠牲に酔いしれる。性愛や食の酩酊が生の肯定であるのに対し、戦争の酩酊は「死と破壊を通じて生を感じる」という背理である。
これを避けることは困難だが、直視しなければならない。なぜなら、戦争の酩酊は人類が繰り返し抱えてきた「構造」であり、未来においても再び現れることを否定できないからである。
参考文献
- Arendt, H. (1951). The Origins of Totalitarianism. New York: Harcourt.
- Clark, C. (2012). The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914. London: Penguin.
- Durkheim, É. (1912). Les formes élémentaires de la vie religieuse. Paris.
- Hegel, G. W. F. (1837). Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte.
- Kershaw, I. (2000). Hitler: 1889–1936 Hubris / 1936–1945 Nemesis. London: Allen Lane.