Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

第1部│欲望と身体の酩酊:②食

第2章 食の酩酊

1. 問題提起

 食は生命維持に不可欠であると同時に、人類が最も容易に「酩酊」に陥る領域でもある。甘味、アルコール、加工食品は舌と脳に強烈な快楽を与えながら、身体には不快や病理を残す。ここでは、食の酩酊を神経科学・文化史・哲学の観点から整理し、その両義性を明らかにする。


2. 神経科学的基盤

 甘味や脂質は脳の報酬系を強く刺激する。特に砂糖は、脳内でドーパミン分泌を急激に高め、薬物依存に類似した神経適応を生じることが報告されている(Avena, Rada, & Hoebel 2008)。このため「舌は喜ぶが体は苦しむ」状態が生じ、短期的快楽と長期的健康損失のギャップを人間に強いる。

 アルコールも同様に、GABA受容体とドーパミン報酬系を同時に操作することで、弛緩と快楽をもたらすが、依存性と神経毒性を伴う(Koob 2013)。こうした中毒性食品・飲料は「生存戦略としての食欲」を逸脱させ、現代人を酩酊に導いている。


3. 文化的・社会的文脈

 食は単なる栄養摂取ではなく、文化的儀礼や共同体の象徴でもある。デュルケームは宗教儀礼における「集合的沸騰(effervescence)」の分析で、飲食の共同性が社会的絆を強めることを指摘した(Durkheim 1912)。

 また、現代社会では食品産業と広告が「過剰な欲望の生産」に関わっている。ジーン・ボードリヤールは消費社会論において、食が単なる生理的欲求を超えて「記号的欲望」として操作されることを指摘した(Baudrillard 1970)。つまり食の酩酊は個体の嗜好を超えて、社会構造に組み込まれている。


4. 哲学的・実存的視点

 食の酩酊は「生の歓び」であると同時に「死への接近」でもある。ミシェル・ド・モンテーニュは『エセー』で「われわれは食卓の楽しみを享受しつつ、その影に死が潜んでいる」と述べ、食欲の二面性を早くから指摘している。

 バタイユもまた、浪費と過剰の哲学において「饗宴」を生の強度の爆発として捉えた(Bataille 1949)。すなわち、食の酩酊は有限な身体を一時的に忘却させる「小さなエクスタシー」であると同時に、身体を蝕む「毒」でもある。


5. まとめ

  • 神経科学的には:砂糖・脂質・アルコールは報酬系を強烈に刺激し、依存を生む
  • 社会的には:食品産業や文化儀礼が食欲を制度化し、欲望を増幅させる
  • 哲学的には:食は「生と死のあわい」に立つ酩酊の象徴である

 食の酩酊は「性愛の酩酊」と並び、人間の身体が最も直接的に快楽へ没入する領域である。そして、次章「美と身体改造の酩酊」へと連なり、身体を「どう演出し、どう見せるか」という次元へ移行する。


参考文献

  • Avena, N. M., Rada, P., & Hoebel, B. G. (2008). Evidence for sugar addiction: Behavioral and neurochemical effects of intermittent, excessive sugar intake. Neuroscience & Biobehavioral Reviews, 32(1), 20–39.
  • Baudrillard, J. (1970). La société de consommation. Paris.
  • Bataille, G. (1949). La part maudite. Paris.
  • Durkheim, É. (1912). Les formes élémentaires de la vie religieuse. Paris.
  • Koob, G. F. (2013). Theoretical frameworks and mechanistic aspects of alcohol addiction: Alcohol addiction as a reward deficit disorder. Current Topics in Behavioral Neurosciences, 13, 3–30.
  • Montaigne, M. de. (1580). Essais. Paris.

シリーズ目次:Human Intoxication(人類の酩酊)