第1部│欲望と身体の酩酊:①性愛
執筆日: 2025-09-04
公開日: 2025-09-05
第1章 性愛の酩酊
1. 問題提起
性愛は人類史において最古にして最強の酩酊領域である。性的欲望は種の保存のために不可欠でありながら、単なる生物学的繁殖を超え、快楽、承認、社会的絆の複合的な場として人間を酔わせてきた。性愛における酩酊は、動物的本能と文化的意味づけが重層的に絡み合うため、最も人間らしい酩酊形態であるといえる。
2. 神経科学的基盤
性愛行動は報酬系を強烈に刺激する。特に性行為においてはドーパミンとオキシトシンの分泌が顕著であり、これが「強烈な快楽」と「パートナーとの結びつき」を同時に生み出す(Fisher 1998)。また、fMRI研究によって性的刺激は脳の報酬系(側坐核、腹側被蓋野)を活性化することが確認されており(Stoléru et al. 2012)、この興奮は薬物依存やギャンブルと同様の神経回路を利用していることが示されている。
すなわち性愛における酩酊は、「生存と繁殖を保証するための強力な神経メカニズム」であると同時に、「快楽依存へと転化しやすい脆弱性」をも抱えている。
3. 社会的・文化的文脈
人類は性愛を単なる生殖本能から切り離し、文化的制度として整備してきた。結婚、恋愛、売春、ポルノグラフィなど多様な形態はすべて「性愛酩酊をどのように社会化するか」の試みと解釈できる。
ジークムント・フロイトはリビドー理論において、性欲を「文化と文明を駆動する根本エネルギー」と位置づけ(Freud 1905)、その抑圧や昇華の過程こそ人間文化の核心だと論じた。ミシェル・フーコーもまた『性の歴史』において、近代における性の告白・規制・管理の装置を分析し、性愛が権力と知の交差点にあることを示した(Foucault 1976)。
したがって、性愛酩酊は「個体の内的経験」であると同時に、「社会的統制と承認欲求が交差する場」でもある。
4. 実存的視点
性愛酩酊はしばしば「自己超越」の経験として語られる。恋愛の恍惚は自己と他者の境界を溶かし、個の有限性を一時的に忘却させる。キルケゴールは『死に至る病』で「絶望からの救済は自己を超えた関係において見いだされる」と述べ(Kierkegaard 1849)、この関係は性愛における他者との結びつきに具体化されるとも読める。
バタイユはさらに性愛を「禁忌と逸脱の場」とし、そこに生の強度が噴出すると考えた(Bataille 1957)。すなわち、性愛酩酊は「死と有限性を忘却するトランス」として、人類存在の根本的な戦略に属する。
5. まとめ
- 神経科学的には:ドーパミン・オキシトシンにより快楽と結合を生む強力な酩酊装置
- 社会的には:制度や権力によって形作られる文化的酩酊
- 実存的には:自己を超越し、生の強度を回復する契機
性愛酩酊は「最古にして最も人間的な酩酊」として、次章以降の「食」「美」へと連なる身体的酩酊の原型を提示する。
参考文献
- Bataille, G. (1957). L’Érotisme. Paris.
- Fisher, H. (1998). Lust, attraction, and attachment in mammalian reproduction. Human Nature, 9(1), 23–52.
- Foucault, M. (1976). Histoire de la sexualité, Vol.1: La volonté de savoir. Paris.
- Freud, S. (1905). Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie. Leipzig.
- Kierkegaard, S. (1849). The Sickness Unto Death. Copenhagen.
- Stoléru, S., Fonteille, V., Cornélis, C., Joyal, C., & Moulier, V. (2012). Functional neuroimaging studies of sexual arousal. Journal of Sexual Medicine, 9(1), 4–30.