Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

第1部│欲望と身体の酩酊:③美

第3章 美と身体改造の酩酊

1. 問題提起

 人間は自らの身体を「改造し、演出する」ことで快楽や承認を得ようとする。男性にとっては筋肉、女性にとっては美やファッションがその中心にある。筋肉や美は単なる外見の変化ではなく、「生きている実感」や「社会からの評価」を媒介する装置となり、そこに人は酩酊する。本章では身体改造としての筋肉鍛錬・美容・整形を取り上げ、神経科学・社会学・哲学の観点から考察する。


2. 神経科学的基盤

 身体を鍛えること自体が報酬系を刺激する。筋力トレーニングはエンドルフィンとドーパミンの分泌を促し、「ランナーズ・ハイ」と同様の快楽をもたらす(Meeusen & De Meirleir 1995)。また、自分の筋肉が成長していくことを視覚的に確認する経験は「自己効力感」を高める強力な酩酊因子となる(Bandura 1997)。

 一方、美容や整形は、社会的承認が神経系の報酬となる例である。心理学研究は「美しい顔は報酬系を強く活性化する」ことを示しており(Aharon et al. 2001)、自己が「美」として認められるとき、脳は性的報酬と同等の快楽を経験する。


3. 社会的・文化的文脈

 筋肉や美への酩酊は、社会的記号としての意味を帯びる。ピエール・ブルデューは『ディスタンクシオン』において、身体やファッションを「文化資本」として分析し、階層や権力を示す手段とした(Bourdieu 1979)。

 現代社会では、SNSがこの酩酊を加速させている。インスタグラムなど視覚プラットフォームは「身体の演出」を承認の交換価値とし、フォロワー数や「いいね」が身体への投資を強化する。すなわち、美と筋肉は「資本化された酩酊対象」として人々を魅了している。


4. 哲学的・実存的視点

 身体改造の酩酊は、有限な自己を超えようとする「現代の超人思想」として読むことができる。ニーチェは『ツァラトゥストラ』で「人間は超人への架け橋」と述べ(Nietzsche 1883)、その思想は現代のボディビル文化や美容整形の実践に重なる。人は身体を通じて「自然の制約」を越えようとする。

 しかしバタイユの視点からすれば、過剰な身体改造は「浪費と逸脱」の表現であり、社会的規範を突き破る衝動にこそ生の強度がある(Bataille 1949)。美と筋肉への酩酊は、社会的承認と逸脱的衝動の間で揺れ動く人間存在を象徴している。


5. まとめ

  • 神経科学的には:筋トレや美容は報酬系を直接刺激し、快楽を生む
  • 社会的には:筋肉・美は「資本」として社会的承認を獲得する装置となる
  • 哲学的には:身体改造は「有限性の超克」と「逸脱的浪費」の両義性を示す

 美と身体改造の酩酊は、性愛・食と並び「身体を舞台とした人間の陶酔」の三位一体を完成させる。ここで人類は、自己の身体を通じて「生の強度」を確認するのだ。


参考文献

  • Aharon, I., Etcoff, N. L., Ariely, D., Chabris, C. F., O’Connor, E., & Breiter, H. C. (2001). Beautiful faces have variable reward value: fMRI and behavioral evidence. Neuron, 32(3), 537–551.
  • Bandura, A. (1997). Self-efficacy: The exercise of control. New York: Freeman.
  • Bataille, G. (1949). La part maudite. Paris.
  • Bourdieu, P. (1979). La distinction. Paris.
  • Meeusen, R., & De Meirleir, K. (1995). Exercise and brain neurotransmission. Sports Medicine, 20(3), 160–188.
  • Nietzsche, F. (1883). Also sprach Zarathustra.

シリーズ目次:Human Intoxication(人類の酩酊)