あとがき
執筆日: 2025-09-04
公開日: 2025-09-16
本シリーズを最後まで読んでくださった方に、ひとつ率直な告白をお伝えしたい。
この「人類の酩酊」シリーズの本文は、その多くがAIによって執筆されている。
そして、私のウェブサイト記事も同様だ。
これは隠しているものではなく、コンセプトで明示してある私の執筆方針である。
おそらく、中には「それでは価値がないのではないか」と考える方もいるかもしれない。だが、もし本当にそうならば、なぜこのシリーズや他の記事はすでに世に存在していなかったのだろうか。AIは世界中で利用可能であり、知の海は誰にでも開かれている。それでも、このように「酩酊」という一本の縦串で人類史を貫き、思想として提示した記事シリーズは、少なくとも著名な文章として開示されていない。
(もちろん、世界のどこかで私のようにひっそりと開示している可能性は否定できない。)
その違いは「誰がキーを押したか」ではなく、「どの問いを立て、どう束ね、どう見せたか」にある。つまり価値は文章そのものではなく、構想と問いの設定に宿るのだ。
ここで、もう一つ正直に打ち明けたいことがある。
引用に登場した哲学者や思想家の著作を、私は徹底的に読み込んでいるわけではない。彼らを「哲学史の偉人」として名前を記号のように知っているに過ぎない。もしこのシリーズに厳密な学術的注解を期待した人がいれば、失望させてしまったかもしれない。
しかし、この正直さこそがAI時代のリアルでもある。私は彼らの思想をすべて「体得」しているわけではないが、AIを通じてその断片を呼び出し、組み合わせ、ひとつの体系を作り上げることができた。つまり私は学者ではなく、AIの知の海を操る「プロデューサー」として振る舞ったのである。
AIの時代において、人が「知」を独占的に体得するために膨大な時間を費やすことが必ずしも最良とは限らない。むしろ、AIからどう知を引き出し、どう文脈に配置するか――それこそが人間の次世代の知的営みなのだと、私は考えている。
このシリーズは、AIが書いた思想書であると同時に、AIだけでは絶対に書けなかった思想書でもある。
そして最後にこう言いたい。
本シリーズを通じて私が示したかったのは、答えではなく問いである。
「人類はなぜ、酩酊せずにはいられないのか?」
この問いに対する答えを探すのは、AIではなく、あなた自身だ。
ここまで付き合ってくれたあなたに、感謝を込めて。