Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

第2章│思想の基盤:「性愛は酒である」

1. 自由であるはずだった性愛

 性愛は本来、自由であった。
 動物が誰かの許可なく交尾するように、人間にとってもそれは生命の営みであり、制度や倫理とは無縁の行為だった。
 そこに「許される/許されない」という区別は存在しなかった。

 だが人類は、性愛を「社会の秩序」に組み込んだ。
 血統を管理するために家族制度を作り、財産と権力を継承するために結婚制度を整え、宗教は純潔と禁欲を説き、国家は法で性産業や同性愛を規制した。
 こうして性愛は「自由」から切り離され、管理の網に絡め取られていった。


2. 管理の歴史が生んだ「いびつな思想」

 性愛の歴史をたどると、常に「管理」が前面に立っている。

  • 家族制度:誰が誰の子かを確定し、血統を管理するため。
  • 財産と権力の承継:結婚を「愛」ではなく「資産と地位の継承システム」とし、婚姻関係を通じて家系や支配層の秩序を固定化した。
  • 宗教規範:純潔・禁欲を掲げ、性愛を「罪」と「神聖」の二極に縛りつけた。
  • 近代国家:売春禁止や同性愛規制を法制度に組み込み、性愛を「表」に出さないよう統制した。

 その結果、私たちの性愛観は「自由なはずの営み」とは程遠い姿にねじ曲げられている。

──結婚しなければ性愛は許されない。
──金銭が絡めば不道徳だ。
──性愛は愛と結びつかなければならない。

 だが、これらは自然の真理ではない。血統・財産・権力を守るために人間が後から作ったルールにすぎないのである。
 そしてその影響は現代にも残り、家父長制や戸籍制度といった形で私たちの生活に組み込まれている。

 ここで改めて問い直したい。

 シェイクスピアが『ロミオとジュリエット』で描いたのは、まさに家の権力と血統が「愛」を押し潰す構造ではなかったか?

 なぜ我々はこの悲劇を現代にまで残し、語り続けてきたのかを考えることこそ重要だ。それは単なる古典文学の保存ではなく、性愛を縛る社会制度の本質を映し出す鏡だからではないのか?


3. 禁酒法の教訓

 性愛の構造を理解するには、アメリカの禁酒法を思い出すとよい。
 1920年代、酒は「悪」とされ、禁止された。
 しかし酒は消えなかった。むしろ闇市場が拡大し、暴力と汚職が蔓延した。
 最終的に、酒を禁止するのではなく、管理し、課税し、文化として受け入れることでしか社会は安定しなかった。

 性愛も同じだ。
 禁止し、地下に追いやれば、そこには暴力、搾取、性病が広がるだけである。


4. 「管理・課税・文化化」という再定義

 必要なのは、禁圧でも放任でもなく、制度的な安全設計である。

  • 管理:ライセンス制と健康診断で、暴力や病の拡散を防ぐ。
  • 課税:闇市場の資金を透明化し、社会全体に還元する。
  • 文化化:性愛を恥や罪ではなく、人類の幸福と癒しを支える営みとして受け入れる。

 つまり、「性愛は酒である」
 これは単なる比喩ではない。
 性愛を制度の外に追いやるのではなく、制度の中で安全に享受し、公共善に変換する。
 この思想こそが、エロス・ゲートウェイ構想の基盤である。


📑 エロス・ゲートウェイ構想 第一部「思想編」目次