Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

序章│エロス・ゲートウェイ構想とは

 ネットニュースや報道番組から流れてくる断片に、私はいつも息苦しさと哀しみを覚えてきた。
 パパ活、シュガーベイブ、そして新宿・歌舞伎町のトー横に集まる未成年。
 そこに映し出されるのは軽薄な享楽ではなく、むしろ必死に何かを掴もうとする若い人々の姿であった。

 とりわけトー横の若者たちは象徴的である。
 彼らがそこへ向かう背景には、親の無関心や家庭での疎外感がある。
 学校にも家にも居場所がなく、最後にたどり着いたのがトー横だった。
 そして皮肉にも、そこで同じ境遇の仲間と出会ったとき、彼女たちは初めて「ここなら自分がいていい」と心から安堵するのだ。

 同じように、ネグレクト(育児放棄・子育て放棄)に晒される子ども、障害を抱えた子を支え続ける親の苦しみもまた、報道の片隅で語られている。

 一見バラバラに見えるこれらの問題に共通しているのは、社会が構造的な補完を怠り、責任を個人や家族に押し付けてきたという点である。

──本当に彼女たちや彼らが悪いのか?
──それとも、性愛と家族のあり方そのものを社会が歪めてきたのではないか?

 この問いが、「エロス・ゲートウェイ」構想の出発点である。


エロス・ゲートウェイとは何か

 エロス・ゲートウェイは、単なる風俗制度改革でも、観光戦略でもない。
 それは 愛と性愛をパラダイムシフトする議論の入口 である。

  • 性愛は酒と同じく「禁止」ではなく「管理・課税・文化化」によってこそ健全化できる。
  • 家族は愛情の場として尊重されるべきだが、性愛と養育を独占させる制度は、一部の人々の心身健康被害・人命被害を生んでいる。
  • したがって、性愛と家族の制度を分離し、再設計する必要がある。

議論の条件

 ここから先の章では、あえて一つの条件を設ける。
 それは 「現在の常識や倫理観を完全に棚上げする」 ということだ。

  • 結婚制度は自明の前提ではない。
  • 親が子を育てることも、必然とは限らない。
  • 性愛と金銭の関係は、不道徳とも限らない。

 常識は時代の産物である。
 100年前の人々が進化論を裁いたサル裁判(進化論裁判)で常識と非常識が逆転するきっかけになったように、私たちの性愛や家族観もまた、未来から見れば錯誤である可能性がある。

 エロス・ゲートウェイは「入口」である。
 私たちはこの扉を開き、性愛と家族の再設計は待ったなしの緊急課題であるという、人類にとって避けて通れない課題に踏み込まねばならない。


📑 エロス・ゲートウェイ構想 第一部「思想編」目次