Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

コラム│今の常識は100年後の非常識

 1925年、アメリカ・テネシー州で行われたサル裁判
 教師ジョン・スコープスは、進化論を教えたとして有罪となった。
 当時の常識は「進化論を教えることは罪」であり、法と宗教がそれを支えていた。

 しかし100年後の現在、私たちはその「常識」を滑稽だと感じる。
 科学を教えた教師を罰することが、いかに非合理であったかは歴史が証明している。

 ここに教訓がある。
 常識は時代の産物であり、未来から見れば錯誤に映るということだ。


 現代日本の性愛も同じ構造を持つ。

  • パパ活は「違法スレスレ」と呼ばれ、課税もなく放置される。
  • トー横の未成年は「補導」の対象になるだけで、出口はない。
  • AV産業は巨大市場でありながら、政策議論から排除される。
  • 性感染症は急増しているのに、検査を制度に組み込む動きは遅れている。

 これらは「性愛は裏に押し込めるべきだ」という常識の延長線上にある。
 だが100年後、人類はこう振り返るかもしれない。

21世紀初頭、日本は性愛を裏社会に閉じ込め、課税も保護もせず、若者を危険にさらしていた。
それは1925年に進化論を裁いた“サル裁判”と同じ錯誤だった。


 常識は未来に通用する真理ではない。
 だからこそ、今のうちに「性愛を罪から制度へ」と移し替える必要がある。
 エロス・ゲートウェイは、その歴史的転換を担う入口なのである。


📑 エロス・ゲートウェイ構想 第一部「思想編」目次