五日市街道で見つけた日常の温かさ
執筆日: 2025-05-05
公開日: 2025-05-06
ゴールデンウィーク、散歩の途中で
ゴールデンウィークの中頃、私は減量も兼ねた執筆散歩に出かけた。東京都杉並区の成田東三丁目界隈を通る五日市街道沿いを歩いていると、ふと都会の中に残るムラ社会のような空間に気がついた。なんだか、時間もゆっくり流れているような気がした。
鉄道駅や大規模商業施設のような、いわゆる都会の利便性はない。だが、そこには確かな生活の営みが根付いていた。
長く続く店が守る地域
ここに並ぶ店舗は、長年地元で愛され続けてきた小さな個人経営店が多い。焼き鳥屋、惣菜屋、昔ながらの床屋や電器店。派手な看板はなく、チェーンのコンビニも点在する程度だ。
長期間安定した経営を続けているため、新規参入の店舗にとっては参入障壁が高く、【外来生物的】な新規出店はほとんど見られない。結果として、この地域は経済的に安定し、独自のゆるやかな共生を維持しているのだ。
連休中盤の祝日の、陽が落ちそうな夕方。持ち帰り専用の焼き鳥屋はオープンしており、やや色褪せたオレンジ色の看板が歩道を煌々と照らしていた。数名の女性が店主と雑談しながら串の種類を選んでいる横を通り過ぎたとき、思わず笑みがこぼれて腹が鳴った。鶏肉とタレの香りが、減量中の私には実につらい。何しろ、焼き鳥は私の大好物だから。
徒歩と自転車が育む地域密着
鉄道駅は遠く、大きな駐車場を持つ店舗がほとんどないため、このエリアの移動手段は徒歩か自転車、そしてバスに限られている。自然と住民は地域内で買い物を済ませることが増え、店主との距離感が近づく。
道行く人は店主と挨拶を交わし、店主は住民一人ひとりの顔と好みをよく覚えている。地域経済は小さいが、人と人の距離が近いため、強固なコミュニティが形成されている。
適度な不便さの魅力
この場所が持つ温かさは、都会的な効率性や経済的競争とは別の価値観に由来している。【適度な不便さ】と【程よい近さ】が、人々を自然と結びつける。利便性に追われることなく、地域内のゆったりとした交流が日常を豊かにしている。
コンビニで味わったほっこり気分
散歩の途中、私はトイレのため、街道沿いの広い駐車場を持つコンビニ――ドライバーにとっての休憩ポイントで、このあたりでは貴重だ――に立ち寄った。
減量中の私は、【カテキンの力が内臓脂肪に効く】とうたう、やや値の張る緑茶を選んだ。トイレを利用させてもらうのだ、しっかり対価を支払わねば。
レジには外国人女性スタッフがいて、精算後に私は恐る恐る「トイレを利用しても良いですか?」と聞くと、明るくハキハキした声で「どうぞ!」と笑顔で応えてくれた。
些細で温かなこうした交流が、この地域を穏やかに支えている力の一端なのだと感じた。効率や規模ばかりに目が行きがちな都会にあって、ここには日常の柔らかさと、人間らしい関係性が確かに息づいている。 お茶一本しか買わずにトイレを利用した多少図々しい私が「トイレありがとうございました」と一礼して店を出るとき、先ほどの女性店員は「ありがとうございました~」と顔を向けて見送ってくれた。
今日、散歩して良かったな。
これからの都市生活の豊かさとは、もしかしたらこうした【日常のゆるふわな温かさ】を再評価し、大切に守り続けることにあるのかもしれない。
そんなことを考えながら散歩を続け、折り返し地点となる公園を過ぎるころ、このエッセイは仕上がり、別に数篇の厳しい批評記事のドラフトを書き終えた。私の脳内には、どうやら何人もの【別の書き手】が住んでいて、同時に執筆活動しているらしい。トキワ荘を騙っては、偉大なストーリーテラーたちに失礼か。
私は焼き鳥屋に立ち寄ろうとする衝動を何とか抑え、美味しそうな匂いが届かない、店の反対側の歩道を歩いて帰路に就いた。いつか、この焼き鳥屋でカシラとつくねとレバーを買おう。