Logoseum│博語館

Shin Sugawara // 菅原真

曖昧な表現による読書体験の悪化と編集責任

読者の混乱を招く曖昧な人物描写

 書籍や文章における【曖昧さ】とは、しばしば著者と読者の視点のズレによって引き起こされる。KADOKAWAから出版された、ある芸人の転機とその背景をまとめた一冊を例に取り上げる。

大前提:読者の意識と補完努力の限界

 読者自身にも一定の補完努力が求められることは大前提である。書籍を読む行為自体、読者が書き手の意図を積極的に推測し、想像力を働かせて補う側面があるからだ。
 しかし、読者の補完努力には限界があり、明確さを欠いた表現によって読書体験が損なわれるほどの負担を強いることは許容できない。曖昧さを適切にコントロールし、読者が想像力を心地よく発揮できる範囲を逸脱しないようにすることが、著者と編集者の共同責任である。

【マネージャー】という表現の曖昧さ

 この書籍を読み進める上で特に困難を感じるのは、人物やその役割が曖昧になる場面が多いことだ。典型的な例が【マネージャー】という単語の使われ方である。
 具体的には、【事務所のマネージャー】と【タイタンのマネージャー】という表現が近くの段落で登場するが、これが同一人物を指すのか、あるいは芸人自身の担当マネージャーなのかが明確に示されていない。その後、さらに第三の単語として単に【マネージャー】が出てくると、読者はそれが前述のどちらかを指すのか、あるいはまた別の人物なのかを区別できなくなり、結果として混乱が生じる。
 実際に、私は数回の読み直しを余儀なくされた。

頻繁な語り手の入れ替わりによる混乱

 次の問題として、語り手が頻繁に入れ替わることが挙げられる。著者自身の意見なのか、芸人本人の意見なのか、それとも各章に登場する別の人物の意見なのかが、はっきり示されていない。読者はその度に文脈を再確認し、誰の視点で語られているのかを推測しなければならない。
 主語の省略を多用した文体が、この問題の主な原因である。
 そして、主語の省略だけでなく、文章が全体的に簡略化されすぎていることが混乱に拍車をかけている。紙面の都合に合わせた結果だと分かっているが、書籍として販売する以上、最低限の品質を保つ努力を怠ってはならない。

著者が曖昧な文章を書く原因

 このような基本的な明示性が徹底されていない原因は、著者自身が文章を書きながら既に人物の区別を頭の中で明確に把握できているためだ。著者がその明確なイメージを文章に反映できない場合、舞台や登場人物の背景を知らない読者は、書き手の頭の中にある文脈を推測し続けるという負担を強いられる。

曖昧さの防止策

こうした混乱は、いくつかの工夫で容易に防ぐことができる。

  • 初出時の人物の明確な特定と統一した略称の使用

    • 初めて人物が登場する際は、肩書や役割を添えて具体的に表記し(例:【タイタンのマネージャーX氏】)、以降は【X氏】など簡潔な表記で統一する。
  • 語り手や発言者が変わる場合の明確な視覚的区別

    • 改行や引用符などを用いて区別をはっきりさせる。

    • 地の文では、視点や発言の主体を明示するフレーズを添えることで混乱を防ぐ。

      • (例)「その件については、こう考えたはずだ。」→「その件について、芸人Aはこう考えたはずだと私は感じる。」あるいは「その件について、芸人Aはこう考えたはずだ。(著者)」
      • (例)「例の場面では、ああいう行動は慎むべきだと言っていた。」→「例の場面で、ああいう行動は慎むべきだとX氏は述べていた。」あるいは「例の場面で、ああいう行動は慎むべきだと言っていた。(X氏)」
  • 情報の取捨選択とバランス感覚の重視

    • 紙面の制約を考慮し、過剰な説明を省きつつも、読者が混乱しないための必要最小限の情報を残すことが重要である。
    • これは著者と編集者の密接な連携とチームプレイにより実現可能である。

【しかし】の過剰使用による影響の具体化

 技術的な課題も散見される。例えば、ある短い章中で【しかし】という接続詞が4回も繰り返し使われていた。これは文章の流れを単調にし、読者の集中力を削ぐ原因となる。
 【しかし】という接続詞は本来、文脈の転換や対比を明確に示す機能を持つ。それが短い段落内で頻繁に繰り返されると、逆に対比の効果が薄まり、読者は文脈の重要性や文章の強調点を見失う。その結果、読解プロセスが停滞し、内容理解が妨げられることになる。このような表現技術の問題に対しても、編集段階での丁寧な校閲が必要である。

出版社の編集責任

 大手出版社であるKADOKAWAが関わりながら、このような基本的な編集上の問題が放置されたということは、この書籍に対し社内的に十分な編集リソースが割かれなかったことを示唆する。
 芸人の知名度や話題性だけに頼り、編集作業に十分な時間や人員を投入しないまま市場に送り出されることは、読者に対する敬意を欠いた姿勢と言わざるを得ない。
 ①新品を、②正規の価格で、③書籍販売店というきわめて健全なルートから、④堂々と購入した私には、こうした批評を胸を張って行う資格があるだろう。

業界全体に見る編集リソース不足の課題

 この問題はKADOKAWAだけに限らず、出版業界全体に広く見られる傾向でもある。市場競争が激化し、出版スピードや収益性を重視するあまり、編集作業に割くリソースが削減されていることは周知の事実だ。
 このような状況が続けば、短期的な収益確保と引き換えに、読者からの信頼や業界全体の品質低下という長期的な損失を招きかねない。
 業界は出版文化の持続可能性を意識し、最低限の品質維持のための編集基準を再定義し、徹底することが求められる。

プロならば、読者にとっての良質な読書体験を念頭に置くべき

 読者にとって良質な読書体験とは、情報が明快で過不足なく伝えられることを基盤としている。出版社は、最低限の編集基準を厳守すべきだろう。少なくとも、人物や語り手の区別がつかないまま混乱しながら読み進めるような出版物は、プロとして許容されるべきではない。

提言:読者と出版業界に促す行動

 この批評を通じて、読者には、自身の混乱が個人的な問題ではなく、書籍自体の編集や表現に起因する可能性を認識し、出版業界に対して明確なフィードバックを提供することを勧めたい。また出版業界においては、短期的な利益追求だけでなく、長期的な視野での品質管理やリソースの適切な配分を検討し、編集・校正基準を再評価することが不可欠だと提言する。

まとめ

 本稿では多くの改善点を指摘したが、初めて執筆に挑戦した著者がこうして勇気を持って書籍を世に問う姿勢は称賛されるべきだろう。ここで指摘した課題は、次回作以降の糧となるはずである。ただし、仮に次回作でも同様の課題が改善されないとすれば、その時は著者の力量や姿勢そのものを厳しく問わざるを得なくなる。

 私自身も執筆し公開する立場として、この批評を踏まえ、読者が直感的に理解できるような明確な表現を心がけるとともに、編集や校正に対する責任感を改めて自覚し、戒めたい。
 この批評記事は、著者である私にも切っ先を向けているのだ。