終章│結論 ― 奇跡の再生産へ
人類史において平和は常態ではなく、戦争の裂け目に生じる一時的な奇跡である。制度も思想もそれを恒久化できず、人間だけがその奇跡を再生産し続ける責務を負う。
人類史において平和は常態ではなく、戦争の裂け目に生じる一時的な奇跡である。制度も思想もそれを恒久化できず、人間だけがその奇跡を再生産し続ける責務を負う。
戦争は人類の常態であり、敵と暴力は社会の維持装置である。本章はホッブズの「闘争」、シュミットの「友敵」、アーレントの「凡庸な悪」を軸に、日本とスイスの事例を通して「平和幻想の思想的限界」を照らす。
1945年の敗戦から現在まで、日本は直接的な戦争を経験していない。しかしその平和は、冷戦・対テロ戦争・米国依存という「隠蔽された戦争構造」の上に築かれている。戦後日本の80年は、人類史上もっとも巧妙な“戦争の外側の戦争”である。
第二次世界大戦と冷戦で国家間戦争は終わりを告げた。しかし2001年の「対テロ戦争」は、戦争を終わらせるどころか社会の中に拡散させた。国家はもはや戦う主体ではなく、戦争を維持する装置として機能している。
近代は、戦争の主体が宗教から国家へと移り、暴力が主権と契約の名の下に正当化された時代である。ヴェストファーレン体制から総力戦の準備まで、国家は平和を掲げながら戦争を制度化し、国民をその装置へと組み込んでいった。
中世は、宗教と権力が結託して戦争を永続化した千年の時代である。信仰、封建、政治が一体化し、暴力が秩序を生む装置として制度化された過程を思想史の視点から描く。